敬二=徳冨蘆花、落第を免れる

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、敬二=徳冨蘆花の学年末試験の結果は……。

 六月下旬には三期の試驗も濟んだ。
 どうせ碌な成績でない事を承知の敬二は、
 彰光館に張出された點數表も見には往かなかつた。
 修辭學は平均九、五試驗一〇で、稲川君と共に最高成績で、
 數學も佐藤さんが落第點をくれなかつたことを片貝君から知つた。

「碌な成績でない事を承知」の敬二=徳冨蘆花でしたが、修辞学は最高点、
また、数学は、担当の佐藤=加藤勇次郎の配慮か、落第を免れた。
その結果、反抗期の敬二=徳冨蘆花ながら、4年生に進級できることになった。

 やがて五年生の卒業式があつた。
 去年の二人に比して、今年は少し多かつた。
 曾(かつ)て食堂で茶碗の湯を祈禱中の敬二の膝にこぼして、
 あつと敬二を飛び上らした溫厚な杉浦君の『英文學に就いて』と、
 敬二と下京の英語敎授に通つた眞面目で飄輕(へうきん)な
 浦田君の『猿猴的日本』が敬二の耳に殘つた。
 去年の卒業式には、伊豫から來たばかり、
 まだ學生の籍にも入らず、皆の背後に小さくなつて居た。
 落第さへしなければ、再來年の六月には、
 敬二も黑い紙筒に入つた雁皮紙の卒業証書がもらへるのである。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

ともに英語を教えに行った、親しい浦田君=村田勤も卒業していく。
明治20(1887)年6月24日、同志社英学校の卒業式が挙行され、
新島襄は仙台東華学校の開校式に出席して不在で、山本覚馬が代行。
村田勤のほか、松浦政泰、望月興三郎、丹羽清次郎、麻生正蔵らが卒業。
「英文學に就いて」と題する卒業演説をした杉浦とは、松浦政泰のことでしょう。
試験や卒業式が終わり、壽代=久栄を思い出してしまう敬二=徳冨蘆花でした。

余談
「半分、青い。」、私はもろもろ、鈴愛に共感する。

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浦口文治の回想における、新島襄と徳冨蘆花の親しさ

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、壽代=久栄と破局に追い込まれ、
「鬱憤」を抱えて浪費する敬二=徳冨蘆花ですが、困窮に深刻でなかったとか。
新島襄に滞納している食費について注意を受けたときも、

 その時その一団中の最年長者、または最上級者といふわけではなしに、
 逸はやく返答したのが、故人健次郎君。
 国もとから送金が遅れたと云つたか、
 他の急用にその金をつかひ果したと云つたか、
 何でもさやうな事を彼が一言すると、この校長先生は、すぐうなづいて、
 「成程、わかりました。が、賄方の方でも困つてゐます。
 どうぞ、何とかしてください」と丁寧な御相談ぶり。
 「だつて、ないものは、払へませぬ。払はぬとは申しません。
 金が出来るまで待つてください」と故人がひとりで一本調子。
 他の諸君が、その時何と云ふたか、もはや一向憶えがない。
 私自身に於ては、何も別な申訳のあらう筈がない。
 たゞ故人のづけづけした物言ひ振りを、
 あつけに取られながら見てゐるうちに、
 その頃まだ十二三歳の私の小さな胸のうちにうかんだのは、
 この校長とこの学生との間柄は、かねがね近しいのだろう、
 双方の応答ぶりが、どうも普通のと違ふなといふくらゐの感じ。
 (浦口文治「同志社時代のプロフィル」『徳冨蘆花ー検討と追想』)

英文学者となった、浦口文治による回想に、このようにあります。
新島襄にも、徳冨蘆花にも、お互いに親しさや甘え、近しさがあったようです。
親戚筋であり、横井(伊勢)家などで会う機会も多く、自然とそうなったか。
あるいは、新島襄も少なからず事情を知っているゆえの遠慮が?
あるいはまた、後に関係性を知った浦口文治の記憶に思い込みが入った?
同様のシーンが描かれる小説では、2人の様子が異なっています。

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「水の上の泡となりにし戀故に……」

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、敬二=徳冨蘆花の「女の噂」は、
どこからともなく、協志社=同志社に広まっていたようです。
江見太郎=海老名一郎(海老名弾正の弟)などが、ちょっかいを出す。

 敬二にまつはる女の噂は、それとなく校中に立つて居た。
 江見の太郎さんは敬二を見る毎ににやにや笑ふて、
 『おい、痩せたぞ』とからかつて、無理に敬二を差向ひのぶらんこにのせ、
 眼が舞ふて吐氣つくまで無暗に空を飛ばせたりした。
 日曜の説敎果てゝ八寮の二階に往くと、
 西の窓に群がつた山本君等五六人がふりかへて
 『やあ、來た、來た。得能、一寸來て見い』と招いた。
 肩の間から覗くと、説敎から歸る
 洋傘(かうもり)と紫の袴の群が今下を通るのであつた。
 敬二は直ぐ頭を引込めた。

そんなときに、日曜日の説教会で「洋傘と紫の袴の群」を見る。
その女学生たちの中には、あの壽代=久栄がいるかもしれないのです。

 常に餓(う)ゑて居る多くの靑年の爲に、果物菓子は土曜の午餐(ひるめし)、
 紫の袴は日曜午前の馳走であつた。
 紫の袴は多くの眼を吸ひ寄せた。
 能辯の譽(ほまれ)をとつた二年生のニキビの井筒耕作君などは、
 髪を前長に摩(な)で下ろし、玉蟲の様に光る着物、
 眞白の足袋、駒下駄で、女學生の説敎歸りを待ち受け、
 わざわざ反對の方から唯一人要ありげに急いで來た。
 斯様な色男の一人に敬二も推されて、
 最早取り去り難い不良學生の折紙をつけられたかの様に自ら感じた。
 事情を知つた片貝君は、敬二に此様な歌があると書いて見せた。
    水の上の泡となりにし戀故に流す浮名ぞ口惜しかりける
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

「水の泡」になる、といえば、私などは『源氏物語』の恋に殉じた柏木を想起する。
「鬱憤」を誤魔化し、浪費し、晴らしながら、敬二=徳冨蘆花は青春する。

余談
「半分、青い。」、相変わらず視聴が追い付いていません。
漫画家をやめるユーコに、秋風先生の「ここからお嫁に行けばいい」に涙。
同じ日を漫画化としての誕生日にしたのに、鈴愛とユーコの道はわかれてしまう。
かつて、鈴愛は秋風先生を「漫画を描く機械だ」と怒りに任せて言ったけど、
今は、機械なら同じ作品しか描けない、とわかっている。
鈴愛の「一瞬に咲け」は、好きな男の子の夢を応援する、
走り高跳びなだけに、羽を与える女の子がヒロイン?
ユーコは居場所を探してた、それこそ、少女漫画のヒロインだ。
(そういう家出少女が漫画化志望で有名作家のところに来る、と言うけど。)
鈴愛の「一瞬に咲け」、ユーコの「5分だけ待って」も、
ボクテの長編になるだろう「女光源氏によろしく」とは対照的に、刹那なのか。

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加藤延年の動物標本

徳冨蘆花がその垢抜けた文章にかなわない、と思ったという、加藤延年。
加藤延年は、同志社を卒業して、熊本英学校などで教え、
同志社に戻って、中学校の博物教師を昭和初期まで務めたという人だとか。

 動物標本8000点 同志社大

 ドブネズミや雑種犬から国内外の珍種・希少動物まで標本約8000点――。
 同志社大のユニークなコレクションが、
 系列の同志社高校(京都市左京区)敷地内の標本館「醇化(じゅんか)館」にある。
 元は昭和天皇即位大礼で造営された饗宴場(きょうえんじょう)の建物といい、
 その中に木枠のガラスケースが所狭しと並ぶ。
 標本は明治期以降のもので、大正から昭和初期にかけてが多い。
 1899年から40年以上、同志社で教えた
 博物学・地理学担当の故・加藤延年教授の収集で、
 校友や在校生らも協力したという。
 約1000点の剥製が目を引く。
 特別天然記念物のアホウドリ、トキ、コウノトリのほか、チョウセントラの親子、
 ニューギニアのゴクラクチョウ……。
 「1911年受け入れ」のミツユビナマケモノには「珍種」と紙の札がかかっている。
 担当の二万剛士教諭は
 「動物保護の観点から、今は、標本制作が必ずしも奨励されない時代。
 その意味でも、この資料を教育に役立て、
 社会に還元しなければと思う」と語る。
 〈メモ〉 高校の学園祭で一般公開することがある。
 教育や学術研究のための見学は随時受け付けている。
 (2007年8月24日「朝日新聞」/「お宝 発見」)

加藤延年は、同志社に貴重な、大きな財産を残したようです。
新島襄の死去したときは、熊本英学校に奉職していた時期であったらしく、
熊本から送った八重宛ての弔問の手紙が、書簡集に載っています。

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井伏秋風=池袋清風

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、敬二=徳冨蘆花は、
自分の書いた「孤墳の夕」が評判になっても、満足はしませんでした。
紫藤君の「サア、ヲオタア傳」=加藤延年の「ソル・ウォートル伝」にかなわない、
敬二=徳冨蘆花は、謙虚にも、そう自己認識していたのです。

 然し敬二は同號に載せられた紫藤君の『サア、ヲオタア傳』の
 文想共に垢ぬけのしたのに比すれば、
 靈蠢(れいしゆん)の別到底同日の談でないことを
 思はずには居られなかつた。

紫藤君=加藤延年は、同志社を卒業して、熊本英学校などで教え、
同志社に戻って、中学校の博物教師を昭和初期まで務めたという人だとか。
敬二=徳冨蘆花が『同志社文学雑誌』に書いたのは、このときだけ。

 敬二はまた片貝、片山、都築の諸君と和歌をはじめた。
 薩摩の八田知紀の門人で景樹の流を汲む
 井伏秋風と云ふ人が協志社の近くに居た。
 夏も綿入の羽織を着て、道をあるくに小さな提火鉢を携へて、
 四五丁毎に股火して往くと云ふ寒がりであつた。
 案山子の舎と號して、詠むよりは敎ゆるが上手で、
 其鼓吹(こすゐ)の下に和歌の流行は一時協志社を風靡し、
 弟子の中から少からぬ師にまさる秀才を出した。
 此は敬二が協志社を出てさ迷ふて居た頃の事で、
 此頃では最早協志社に歌は廢れて居たが、
 女學校に敎鞭をとつて居た井伏さんは相變らず着ぶくれた體を
 協志社近くの下宿の二階の机に憑せて、
 くるくるとした呆(とぼ)けた様な眼を古い歌集にさらして居た。
 敬二は並々ならぬ意氣込で課題を詠むだが、
 採點の結果は片貝君が首席であつた。
 此は他の驚愕で、敬二の失望であつた。
 敬二は直ぐ不熱心になつて、
 皆の詠草をテーブルの上に置き忘れて人に見られ、
 片山君からLooseだと執念く攻撃され、あぶなく撲(なぐ)り合ひをはじめた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

この寒がりの歌人、井伏秋風とは、桂園派の池袋清風のこと。
明治18(1885)年6月、同志社英学校別科(邦語)神学科を卒業、その後、
同志社女学校で1年間、教えた後、青山正義のところに下宿し、
彼が主宰する案山子の舎の指導、選集の編集を担っていたのだという。
井伏秋風=池袋清風の歌会に敬二=徳冨蘆花を誘ったのは、
和歌にも熱心だった親友、片貝=磯貝由太郎でした。

余談
冷房のない学校は、短縮授業にしたり、繰り上げて夏休みに入ればいい。
根性論も、部活やってれば健全論も、暑さに勝ってこそ青春論も、
その象徴、根源は甲子園だろう。
そこで起こるドラマは感動的に語られるので、問題が棚上げされる。

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