2017
10.19

ロシア大会2017

グランプリシリーズがいよいよ開幕、初戦のロシア大会が始まります。
日本からは、羽生結弦、樋口新葉、坂本花織、
須藤澄玲&フランシス・ブードロー=オデ組が出場します。
エントリーしていた田中刑事は、右腸腰筋の筋損傷のため、欠場となりました。

 男子シングルSP滑走順(10月20日20:00~)
  01、アンドレイ・ラズキン(ロシア)
  02、モリス・クビテラシビリ(ジョージア)
  03、デニス・テン(カザフスタン)
  04、ナム・グエン(カナダ)
  05、グラント・ホッホスタイン(アメリカ)
  06、ミーシャ・ジー(ウズベキスタン)
  07、デニス・ヴァシリエフス(ラトビア)
  08、ドミトリー・アリエフ(ロシア)
  09、ダニエル・サモヒン(イスラエル)
  10、ネイサン・チェン(アメリカ)
  11、ミハイル・コリヤダ(ロシア)
  12、羽生結弦

男子シングルは、初戦から羽生結弦とネイサン・チェンが激突。
羽生結弦は、4回転ルッツに挑戦すると宣言したとか。

 女子シングルSP滑走順(10月21日2:00~)
  01、ワレリヤ・ミハイロワ(ロシア)
  02、アナスタシヤ・ガルスチャン(アルメニア)
  03、ニコル・ショット(ドイツ)
  04、マエ・ベレニス・メイテ(フランス)
  05、坂本花織
  06、カロリーナ・コストナー(イタリア)
  07、マライア・ベル(アメリカ)
  08、樋口新葉
  09、エレーナ・ラジオノワ(ロシア)
  10、エリザベート・トゥルシンバエワ(カザフスタン)
  11、長洲未来
  12、エフゲーニャ・メドベージェワ(ロシア)

明後日の女子シングルには、女王エフゲーニャ・メドベージェワが登場。
ロシアの実力者やカロリーナ・コストナー、長洲未来など、表彰台は劇戦か。
樋口新葉、坂本花織も、ここで結果を残したいところです。
五輪シーズンと思うと、毎年のグランプリシリーズも緊張感がちがいます。

余談
「わろてんか」、やたらと蔵に閉じ込めるのは「あさが来た」を再びの表れ?
「ロミオとジュリエット」と言っても、蔵の窓まで登ってきてくれるのは、
藤吉だけではなくて、風太もだし……と思いましたが、
もう風太とつらいことを「半分こ」する少女時代は終わり、なのかな?
親戚筋というけど、新一の死後、風太はもっと大事にされてもいいような。
あのナレーションは、講談みたいな感じ?
女中のトキの造型がちょっと疑問、もっと緊張感を出せたのではないかな。
お嬢さまたちといっしょに興奮するだけではなく、諭すこともあっていいのでは。
2017
10.18

山下壽代の身体性

Category: 八重さん
「黒い眼と茶色の目」に語られる山本久栄=山下壽代は、
敬二=徳冨蘆花の視線を通して、「蓮葉」であると繰り返されます。
引っ越してきたばかりの横井家には、女中が2人、山本家からも手伝いが来た。
そうした家事には馴れていない久栄も、奮闘したようです。

 お稲さんの實家の山下家は、木屋町とはつい眼と鼻の河原町にあつた。
 引越當座は、毎日の様に山下家から手傳ひに來た。
 内では女中の二人も居て、はたき一つ持つたこともなさゝうな壽代さんが、
 甲斐〃〃しく襷を十字に綾どつて二階から下へと雑巾がけして廻つたり、
 鰹節の鉋を磨ぐと云つて大騒ぎして砥石を探したり、
 面白半分騒ぎ廻つて居た。
 時々は敬二が寢て居る八疊の上り框(かまち)へ來て、
 はらはらする敬二の方へ背を向けながら、
 土間で雨戸の修繕をして居る大工に平氣で言ひかけたりして居た。
 壽代さんは十六であつた。
 敬二はまだ子供らしくぎすぎすした其肩つきや、
 赫つちやけたおくれ毛のほつそりした襟頸を眺めて、
 『何と云ふ蓮葉な娘だらう』と思つた。
 しばしば顏を合せながら、誰もあらためて紹介をする者もないので、
 二人は挨拶を交はすこともなかつた。
 木屋町へ越して三日目の朝、
 敬二はまだ吊つたまゝの靑蚊帳の中で、土間を向いて寢て居た。
 格子戸がからり開いて、駒下駄の響(おと)がすると、
 土間に立止まつた壽代さんは、
 蚊帳越しに大きく眼を開いた敬二と顏を見合はせてーー目禮した。
 敬二も寢ながら目禮を返した。

久栄はまだ16歳、成熟とは遠い、「ぎすぎすした」体つきをしていたらしい。
引越しから3日が過ぎて、敬二と壽代はようやく「目禮」を交わした。

 此月頃兎角ぶらぶらしてすぐれずに居たお稲さんは、
 ドクトルペリーの診察で妊娠五月と知れた。
 『それ御覧なさい、それだのにあなたは何の角のと』とお稲さんは
 鼻聲で又雄さんを窘めて居た。
 お稲さんの容態も分つたし、引越し騒ぎも先づ形がついたので、
 又雄さんは程なく西南地方巡囘傳道の途に上つた。

蘆花が、ようやく回復して、協志社=同志社の入試準備に取りかかるころ、
ドクトルペリー(ベリー医師)の診察で、稲の懐妊が判明。

 敬二は壽代さんと泉水の水を更えた。
 薄鼠の浴衣に紅い襷をかけて、
 肱も露(あらは)の繊腕で壽代さんがだらだらと車井の水を手桶に汲むと、
 敬二は黙つて泉水に運むだ。
 三四度運ぶと、壽代さんが黙つて手桶に手をかける。
 このたびは敬二が汲む。
 壽代さんが片手で裾引あげ、跣足(はだし)になつて手桶を運ぶ。
 今度は敬二が黙つて手桶をとる。
 壽代さんが汲む。
 十ぱいも運ぶと、『最早えゝやろかー見て來う』
 壽代さんが口早に獨語つて、泉水を見に行く。
 『今少し』獨語つて、壽代さんはまた汲みはじめる。
 泉水が一ぱいになるまで、
 二人は共に働きながら、口もきかず、にこりともしなかつた。

姉の懐妊があり、壽代の手伝いも回数が増えたのかもしれません。
会話もなく、微笑もないながら、敬二と壽代はともに働いた。
赤い襷をかけた浴衣姿、「肱も露の繊腕」「跣足」とある、壽代の身体。
それが描かれるということは、もはや蘆花は久栄にひかれていたのでしょう。

 聞き覺えある駒下駄が、毎も敬二が勉強して居た六疊の前ではたととまると、
 勝手のかあやんに問ひかけたらしく、
 しをれた聲ーー敬二は斯く思ふたーーが響いた。
 『敬さんは?』
 敬二は息がつまつた。
 彼の心は高く動悸を拍(う)ち出した。
 かあやんが何と答へたか、敬二の耳にはよくは入らなかつた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

これまでの勉強部屋が居間になり、敬二は二疊の狭い離れを部屋にした。
それを知らずに、壽代は以前の「六疊の前で」足をとめたのです。
「かあやん」とは、「老婢の加壽」とは、横井小楠の妾の寿加のことでしょうか。
「敬さんは?」と問いかける声を聞くだけで、敬二の動悸が早くなった。
2017
10.17

「飯島先生の夫人のねちねちした會津辨」

Category: 山本久栄
徳冨蘆花と山本久栄は、蘆花が京都に戻って、ほどなく出会いました。
「黒い眼と茶色の目」には、卒業式に列席した翌日であるとあり、
明治19(1886)年6月26日、という日付になります。
その後、横井家は、東桜町から、山本家に近い木屋町に引っ越します。
ちょうどその折、男手として頼られていたはずの蘆花は、体調を崩しました。 
 
 丁度前年伊豫で豆飯を食つて腸加答兒(かたる)を煩つた其一周期である。
 『病院にでも入れましようか』と云ふお稲さんの聲を聞き聞き、
 時を作つて劇しく波うつ腸の蠕動(でんどう)に身を捩つて
 敬二は蚊帳の中に呻いた。
 協志社の校醫、頭の禿げたドルトル・ペリーさんが來て手當をしてくれたので、
 苦痛は大きに樂になつたが、唯一夜の中に頬の肉はげつそり落ちて、
 敬二は到底起き上がる力も無かつた。
 然し又雄さんの旅行出發の日取りが迫つて居るので、
 引越しは豫定通り行はれた。
 主の又雄さんの外に男氣は無い家族に居ながら、
 行李一つしばれぬ腑甲斐なさを心苦しく思ひつつ、
 荷造り運び出しの騒ぎの中に、敬二はぐつたりと寢て居た。

結局、敬二は、最後にたった1人で木屋町の借家に移動したのだとか。
肝心なときに、世話になっている横井家の転居の手伝いもできなかったのです。

 格子戸を潜つて、土間に向ふた勝手の八畳に這ひ上り、
 其まゝ手枕をして横になつて居ると、奥から下つて來た加壽、
 お節ちやんの所謂『かあやん』が急いで蒲團を敷いてくれた。
 奥の方では引越し済んでお茶一服と云ふところで、 
 又雄さん、お稲さん、叔母さん、おいよ婆さん、
 それから小柄な山下のお婆さんや其眼尻の下つた目が
 よく姪の壽代さんににて居る飯島先生の夫人のねちねちした會津辨や、
 時々壽代さんであろ少い娘の蓮葉な笑聲も聞こえた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

新居には、主の横井時雄、夫人のみね、叔母の横井津世子、
小楠の兄である時明の妻であった清子がおり、また、
小柄であったという「山下のお婆さん」=山本覚馬の母である佐久、
「飯島先生の夫人」=新島襄の妻の八重、また、山本覚馬がいたらしく、
ここに、八重の会津弁が「ねちねちした」とされているのも、看過できません。
蘆花にとって、新島八重の印象はよくない。
しかし、新島八重と山本久栄は、目尻の下がった点が似ていたとか。
久栄の、「少い娘の蓮葉な笑聲も聞こえた」と見えます。
河野仁昭『蘆花の青春 その京都時代』(恒文社、1989年)には、
みねが文久2(1862)年5月25日生まれ、久栄が明治4(1871)年5月25日生まれ。
自分より9歳も年下の久枝を、みねは可愛がったようなのです。

余談
いまいち盛り上がらない「わろてんか」、癒しの新一兄さんも死んでしまった。
笑うことは、人間だけの特権であり、それはなぜかというと、
「人間は、お金や地位や名誉を競い合い、果ては戦争もする。
アホな生き物や。人生いうんは思いどおりにならん。つらいことだらけや。
そやからこそ、笑いが必要になったんやと僕は思う。
つらいときこそ笑うんや、みんなで笑うんや」
このあたりが、てんのこれからにつながっていくのだろうけれど。
2017
10.16

山下壽代=山本久栄

Category: 山本久栄
京都に戻った横井家は、東桜町に家を借りました。
徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」には、「飯島先生の宅から五六丁北へ往つて、
東櫻町と云ふ公卿小路の貧乏公卿の古巢を借りて居た」とあります。
「又雄さん」=横井(伊勢)時雄は、同志社英学校の神学科で教えていました。
横井家には、金森通倫や市原盛宏らが遊びに来たようです。
13歳で去った同志社の卒業式に、19歳になった蘆花は出席しました。

 新築が出來たばかりの煉瓦造りの大禮拝堂に、
 窓の色硝子から降る五色の光線を浴びて
 ぎつしりつまつた男女學生の背の方に小さくなつて、
 半月形の高壇にずらりと居並ぶ内外職員の威嚴、
 同盟退學があつたとかで唯二人しかない卒業生に對する
 石原主幹の沈痛な告辭、
 黑絽の紋付を着た卒業生の一人が
 白ハンケチでしばしば口を拭いての流暢な英語演説、
 淺黄の單羽織を被つた他の一人の邦語演説を聞いたり見たりした時、
 小膽な敬二は可なり威嚇され、而して油斷の隙に
 吾有を他に奪られてしまつた不覺者の足ずりしたいじれつたさを
 感ぜずには居られなかつた。

かつて蘆花が在籍した当時にはなかった、「煉瓦造りの大禮拝堂」。
立派な礼拝堂などが建ち、同志社は様変わりしていたのです。
ここに「石原主幹」とあるのは、市原盛宏のこと。
たった2人しかいなかった卒業生は、後に東大教授になった松波仁一郎、
そして、神学科に進学した松尾音治郎になります。
蘆花は、自分でも理由がわからないままに、
自分は「油斷の隙に吾有を他に奪られてしまつた不覺者」であるとして、
「足ずりしたいじれつたさ」を感じている、とあります。
得体の知れない、焦りや嫉妬のような感情を禁じえない、そのときに、
蘆花は、「茶色の目」に出会うことになります。

 卒業式の翌日の午後、一寸見て居てくれと云はれて、
 敬二はお莭ちやんと座敷裏の小縁で遊んで居た。
 すッと障子が開いた。
 敬二はふり仰いで一人の少女(をとめ)と眼を見合はした。
 混血兒かと思ふ程赭(あか)つちやけた髪を引つめの束髪に結つた
 十五六の女學生である。
 眼尻の下つた鋭い茶色の目で睨むやうにぢいつと敬二を見ると、
 いきなり彼方向いて、弛むだ空色繻子の帯をきゆッと手ばしこく締直し、
 會釋もせず座敷へ入つて了ふた。
 何と云ふ不躾な娘だらう、敬二は心に叫むだ。
 同時に何處かで見た様だと思ふた。

ヒロインの登場、第一印象はそれほどよくなかったようです。
15,6歳の女学生で、混血児かと見えるような色の髪を束髪に結っている。
そして、「眼尻の下つた鋭い茶色の目」をして、敬二を睨んだ。

 やゝあつて、『あゝあれか』と心に言つた。
 お稲さんに異母妹が一人ある、山下家には男の兒が無いが、
 此異母妹母子がある爲に、嫡女のお稲さんは心殘りなく
 又雄さんに嫁いで來ることが出來たと云ふ事を敬二は聞いて知つて居た。
 敬二がまだ伊豫に居た頃、ある日二階で寫眞箱を引くりかへして見て居ると、
 若い娘の二人全身にうつしたのが目についた。
 十八九の方はをとなしい娘であつた。
 今一人、引つめの束髪に結つて薔薇の花簪を挿した
 大きな縞の着物の十四五の娘は、
 眼尻の少し下つた目を十分に睜(みは)つて、
 上目使ひに睨みつめた眼光に恐ろしい険があつた。
 寫眞を裏がへすと、姉上様、壽代(ひさよ)、と子供らしい手跡で書いてあつた。
 これがお稲さんの妹か、あまりにて居ないな、敬二は其時斯く思ふた。
 『今のだつたか』
 敬二は眼を上げた。
 幻は其奥に消えて、隔ての障子が眼の前に白かつた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

敬二は、以前に「山下家」の異母姉妹の写真を見たことがあった、という。
「山下家」というのが、山本覚馬の家になる。
会津の樋口うらが生んだ長女のみね、京都の小田時栄が生んだ次女の久栄。
山下壽代=山本久栄こそが、この作品のヒロインになります。
みねは文久2(1862)年、久栄は明治4(1871)年に生まれました。
(八重や佐久が京都に来た年に、久栄は生まれている。)
見たことがあったという写真は、久栄がみねに贈ったものでしょう。
異母姉妹ゆえにか、2人はあまり似ていない、と蘆花は見ました。
みねが「をとなしい娘」であり、久栄は、さきほどの印象と同様に、
「上目使ひに睨みつめた眼光に恐ろしい険があつた」という。
挑戦的な、鋭い「茶色の目」は、新島襄の「大悲の淵を湛へた」瞳と対照的です。
2017
10.15

徳冨蘆花、「黑い眼」と再会

Category: 山本久栄
徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、敬二が頼った「從兄の又雄さん」は、
伊予を去って、京都に戻ることになりました。
横井時雄は、明治19(1886)年、今治から京都に帰ったのです。
蘆花もまた、京都に呼ばれ、同志社英学校の普通科3年に編入することに。

 敬二の信仰復興後間もなく、又雄さんは傳道事業に新發展を試む可く、
 袂にすがる善男善女をあとに、七年經營の伊豫を去つて、
 所属敎派の策源地たる京都に先づ單身で出て往つた。
 其内瘧(をこり)を煩つたと云ふ電報が來たので、
 細君のお稲さんが遽てゝ老婢の加壽を連れて上つた。
 程經て敬二の叔母さんと、叔母さんの義姉に當るおいよ婆さんが、
 三歳になるお節ちやんを連れて上つた。
 大きな家に飼犬の『トメ』と差向ひにぽかんと取殘された敬二が、
 直ぐ來いと云ふ叔母さんの手紙を受取つたのは、
 それから十日も後の事だつた。
 尤も能勢家が京都に越すについては、敬二も九月から
 協志社に入學の相談がかねて又雄さんとの間に成立つて居たのである。 
 
横井(伊勢)時雄は、この作品においては、能勢又雄。
横井時雄は、すでに同志社の社員になっていた。
「細君のお稲さん」というのが、山本覚馬の長女のみねであり、新島八重の姪。
みねは、明治19(1886)年4月に京都に戻ったとのこと。
「三歳になるお節ちやん」というのは、みねの娘、悦子を指します。
悦子は、明治17(1884)年7月に生まれています。
「老婢の加壽」とは、横井小楠の妾の寿加のことでしょうか。
「敬二の叔母さん」とは、時雄の母の津世子。
妻妾同居の暮らしでしたが、寿加は病弱の津世子を支えたのだとか。
その「義姉に當るおいよ婆さん」が、小楠の兄である時明の妻であった清子。

 京都は敬二に初見参の土地ではなかつた。
 西郷戰爭の翌年、彼は兄に連れられて京都に上り、
 十一の夏から十三の夏まで英語と耶蘇敎を協志社に學んだ。
 其頃は兄弟の姉のお勝も、お稲さんや又雄さんの妹のお美枝さんと、
 協志社の女學校に居て、黒繻子の襟のかゝつた着物を着て、
 銀杏返しに結つて、英書の風呂敷包を抱へて男校へ受業に通つて居た。
 敬二は滿二年の京都生活に關する多くの記憶を新鮮に有つて居た。
 其中心には、幼い敬二が狭い眼界で仰ぎ見る
 高峰の中の最高峰と何時しか見馴れた協志社社長飯島先生の
 雄々しい濃眉の下に金輪際動かぬ泰山の力と共に、
 底ひなき大悲の淵を湛へた一双の黑い眼があつた。

「兄」とはもちろん猪一郎、「姉のお勝」が徳富(湯浅)初子、
「お稲さんや又雄さんの妹のお美枝さん」が横井(海老名)みや子。
タイトルにある「黑い眼」とは、新島襄の「底ひなき大悲の淵を湛へた」瞳のこと。
「茶色の目」は山本久栄の瞳であるから、信仰と恋、という主題か。

 京都に着くと、敬二は寺町の飯島先生の門に車を下りて、
 チヨコレート色に塗つた格子戸をあけて、
 昔ながらの狭い玄關の銅鑼を鳴らした。
 出て來た女中に、敬二は名を云つて、能勢家へ行く路筋を尋ねた。
 折ふし午餐中であつた先生が聞きつけて玄關に出て來て、
 敬二がよく覺えて居る彼(あ)の黑い眼で
 大きくなつたと云つた様に敬二を見下ろし見上げ、
 上つて食事を共にしないあと懇に云つたが、敬二がたつて辭退するので、
 門前に待つて居る車夫を呼んで、先生は丁寧に路筋を敎へてくれた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

新島襄が自邸で「午餐中」であったということは、八重もまた、
京都に戻ってきたばかりの蘆花を迎え、「大きくなつた」と感じたのでしょう。
蘆花が以前、同志社に入った明治11(1878)年には、新島邸は完成していました。
和洋折衷の邸宅は懐かしく、新島襄と蘆花は6年ぶりの再会でした。
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