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大山捨松、継母の苦悩

さて、大河ドラマに登場して話題の、運動神経抜群の三島弥彦。
その兄で銀行家の三島弥太郎、その最初の妻が大山巌の長女の信子でした。
その信子がヒロイン、浪子のモデルであった、徳冨蘆花『不如帰』。
小説は大ベストセラーになり、映画化もされ、ドラマの中で金栗四三も鑑賞。
意地悪な姑として描かれて、三島和歌子は憤慨していましたが、
やはり意地悪な継母として造型された、大山(山川)捨松も困惑していました。
一説には、徳冨蘆花が山本久栄との仲を引き裂いた新島八重を憎み、
その恨みから、新島八重と同じ会津出身の大山捨松を悪役として書いたとか?
継子いじめ譚の枠組みからの造型でしょうが、本人には大迷惑です。

大山信子と三島弥太郎の結婚式は、明治26(1893)年4月24日。
三島弥太郎は、大山巌と同じく薩摩藩出身、警視総監の故三島通庸の長男。
縁談は、大山巌、黒田清隆、巌の従兄弟・西郷従道の間で決められた。

 弥太郎が帰朝したとき、黒田は通庸の遺児弥太郎の嫁さがしに乗り出し、
 従道に応援を求めた。
 というのも弥太郎が、許嫁高崎よし子(高崎五六の娘)に恋人が出来て、
 在米中に縁組を解消されていたからである。
 弥太郎とよし子は親同士がきめた許嫁であった。
 黒田に嫁さがしを依頼された従道は、大山の長女・信子に白羽の矢をたてる。
 (阿井景子『情愛 大山巌夫人伝』光文社、2012年)
 
何と三島弥太郎は、同じく薩摩藩士だった高崎五六の娘と破談になっていた。
(ちなみに、歌人の高崎正風は五六の従兄弟にあたる。)
信子はまだ16歳、三島弥太郎は27歳でした。
華族女学校の初等中学科を卒業した信子は、進学せずに三島家に嫁いだ。

 この冬は東京中に悪性のインフルエンザがはやっていた。
 三島家に嫁いだばかりの信子は
 高島田を解く暇もなく家族の看病に立ち働いた。
 そして、悪いことに最後には自分も感染してしまい、
 幼い時肋膜炎を患ったことのある信子はすっかり病気をこじらせ
 起き上がれなくなってしまった。
 三島家では、十分に療養して一日も早くもとの身体にもどるようにと
 信子を大山家に里帰りさせた。
 (久野明子『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』中公文庫、1993年)

信子が肋膜炎にかかったのは幼いときのこと、捨松が継母になる以前でした。
縁談が成立する前、三島和歌子は周到に信子の健康を確かめたとか。

 昨秋、娘(弥太郎の妹・牧野伸顕夫人)から縁談が持ち込まれたとき、
 和歌子は大山家の主治医・橋本綱常に信子の健康を問いあわせている。
 日本赤十字病院の初代院長をつとめた橋本綱常は陸軍軍医総監で、
 安政の大獄で刑死した橋本左内の弟であった。
 彼は大山が渡欧(明治十七年二月)したときも随行している。
 橋本は、和歌子の問いあわせに対し、
 「信子さんに病気はありません」
 と断言した。
 (阿井景子『情愛 大山巌夫人伝』光文社、2012年)

あの橋本左内の弟、綱常が大山家の主治医でした。
ところが、三島和歌子の危惧の通りに、信子は寝込んでしまう。
三島家の主治医、高木兼寛が診察すると、信子は肺結核と診断される。
三島家としては、すぐに信子を実家に帰すわけにもいかず、大磯で療養させた。

 「信子を、取戻すことにした」
 官邸から穏田にやってきた大山は珍しく昂奮していた。
 小さな目に恚憤(いふん)が沸騰(たぎ)っていた。
 捨松が初めてみる大山の表情である。
 「どういうことですの?」
 捨松は、居室の椅子に腰を下ろした夫にたずねた。
 「高木が抗議してきたそうじゃ」
 「高木って、慈恵医院の高木先生ですか」
 捨松は、かつて東京慈恵医院の幹事をつとめている。
 信子の病状を伝えてきた高木は、
 「結核患者を結婚させるとは医者として間違っている。
 厄介ばらいをせねばならぬ事情があるにせよ、何故止めなかったのだ。
 君は医者ではないか」
 と橋本を難詰したという。
 「厄介払いですって!」
 「橋本は、高木が難癖をつけてきたから、
 ぜひともお嬢さまを取戻して欲しいと言うてきた」
 「あたり前ですわ。
 そんなひどいことを言われて、信ちゃんを置いておくわけにはまいりません」
 (中略)
 「厄介払い」の言葉は、明らかに捨松を指している。
 高木は継子信子が邪魔だから、捨松が信子の病気をかくして、
 三島家に嫁がせたとみていた。
 幼な妻信子。
 それが高木に「厄介払い」と映じたのかも知れぬが、捨松は無念でならない。
 早すぎないかと、従道に抗っただけに、高木の発言が腹立たしく、
 怒りがこみあげてきた。
 (阿井景子『情愛 大山巌夫人伝』光文社、2012年)

捨松自身がセンセーショナルな存在であっただけに、心ない話も広まったのか。
まだ16歳の結婚を早いと感じても、継母として強くは反対できなかった。
縁談を壊せば、それはそれで、継子憎さゆえだろうと陰口を叩かれたであろう。
ベルツ医師の診断も受けたが、やはり信子の病は肺結核。
アメリカで看護学を学んだ捨松は、感染を予防するため、信子を隔離する。
それがまた、知識のない人々の目からは冷酷に見えてしまいます。
転地療養のため、信子は横須賀に移ります。
海軍大佐、横須賀鎮守府参議長の鮫島員規の妻、ミ子(みね)は、
大山巌の姉、国の長女で、信子を娘のようにかわいがっていたからです。

Tag:山川家の人々 

山川操の叙勲

ふと思いついて、国立公文書館デジタルアーカイヴで「山川操」を検索。
山川操は、あの大山捨松の姉で、昭憲皇太后に仕えた女官です。
何かヒットするのでは、と期待していたところ、やはり1点ありました。

 故元皇太后宮権掌侍山川操叙勲ノ件
 叙勲裁可書・昭和五年・叙勲巻一・内国人一
 昭和5年03月19日

山川操が亡くなり、叙勲を受けた際の文書が残っているのでした。
勲六等に叙され、瑞寶章を授けられたようです。
これらにより、山川操は、昭和5(1930)年3月19日であったとわかります。
https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000000048279

Tag:山川家の人々 

プリンスアイスワールド2019 長野公演

さて、プリンスアイスワールドの長野公演が行われました。

 プリンスアイスワールド2019 長野公演
 2019年1月19日~20日、長野市ビッグハット
 プリンスアイスワールドチーム
 荒川静香/本田武史/安藤美姫/織田信成/小塚崇彦/村上佳菜子
 本田望結/本田紗来/本田真凜/樋口新葉

本田3姉妹の揃ったアイスショー、樋口新葉も元気な滑りだったようで安心。

余談
大河ドラマ「いだてん」に、「不如帰」が登場、三島和歌子も強烈なキャラクター。
疾走感のあるドラマ展開、ヒロインは自転車で走る。
日曜日の夜は、「小吉の女房」の再放送→「いだてん」(あるいは逆になる)
→「グッドワイフ」→「3年A組 今から皆さんは、人質です」と忙しい。

Tag:フィギュアスケート 

斎藤秀三郎の妹、冬子と北村透谷

斎藤秀三郎の妹、冬子については、相馬黒光が書き残しています。
相馬黒光も斎藤冬子も、宮城女学校に通い、そこで日本発(?)ストライキ。
そのために学校を追われ、押川方義の配慮により、
相馬黒光はフェリス女学校、斎藤冬子は(黒光も憧れた)明治女学校に編集。
ところが、フェリス女学校に馴染めなかった相馬黒光は、
ついに明治女学校に移りますが、それより早く、斎藤冬子は肺病で死去。
あちらこちらに斎藤冬子の面影の残る明治女学校に、相馬黒光は入るのです。
明治女学校は、フェリス女学校とも、ほかの女学校とも異なる雰囲気に満ち、
「お冬さんの内部に閉じこめられていた文芸的な素養」が引き出され、
その斎藤冬子が「傾倒」したのが、教員だった北村透谷でした。
 
 私はフェリスを経て明治女学校に行ったのですから、
 透谷の自殺した明治二十七年の五月十七日はまだフェリス在学中で、
 従って明治女学校の先生としての透谷を
 直接に見ることが出来なかったのは残念ですが、
 その対象になった女性を比較して、
 それが図らずも藤村透谷の比較になるのを興味あることに思っております。
 即ち藤村さんにおける佐藤お輔さん、透谷に於ける斎藤お冬さん。
 お輔さんが叙情的な大きな眼を持った色白な美しい人で、
 しかし極めて穏当で尋常な婦人であったのに引かえ、
 お冬さんは何処までも冴えた人柄、頭脳の人で、
 実にはっきりした対照をなしていました。
 それでいて結局二人とも伝統的な情操、理知的教養から来る諦観、
 しかもはげしい情熱に肉体をむしばまれて、 
 二十歳あまりのうら若さで病んでたおれて行ったところは、
 やはり同時代の女性の姿、
 そうしてこれこそは当年問題になった明治女学校の恋愛至上主義、
 いわゆるプラトニックラヴの好標本であります。
 (相馬黒光『黙移』日本図書センター、1997年)

島崎藤村と佐藤輔子、そして、北村透谷と斎藤冬子。
明治女学校には、文学者と女学生の間にプラトニックラヴが生まれる土壌が。
北村透谷には、すでに妻、石阪美那子(石阪昌孝の娘)があった。

 相変わらず詩人の自由と理想に生きる透谷に、
 美那子は手もと不如意を嘆き、家庭に平凡な幸福がないのを恨む。
 透谷は妻を責めることはできない。
 だからといって、妻の希望に沿えば詩人としての自分を保ちえなかった。
 学問へ燃えるような目をした斎藤冬子が現われたのは、
 まさに家庭の危機が迫っているころである。
 不満の多い妻に翻弄されていた透谷の目に、
 冬子は一陣の爽やかな風のように映りはしなかっただろうか。
 だが、過去に恋愛の蹉跌を味わっていた透谷は、
 あえて教師と生徒の距離を縮めなかったようである。
 美那子もかつて、そうした啓示に満ちた清新さで、
 透谷の前に現われたのだから。
 
聡明な斎藤冬子と授業熱心な北村透谷の間には、独特な空気が流れた。
斎藤冬子のまなざしに恋心は混ざっていたか、それも曖昧ながら、
芸術と生活の間で苦悩し、家庭問題を抱えていた北村透谷もどうだったのか。

 時代は、明治国家がすでに陣容を整え、
 自由の芽を一つひとつ潰していったころである。
 透谷がどんなに個性の自覚や芸術の独立を叫んでみたところで、
 現実の前では無力な遠吠えでしかなかった。
 こうした現実と理想とのギャップに苦しみ、透谷はほとほと疲れきり、
 一八九四(明治二十七)年五月十六日、芝公園で縊死を遂げる。
 二十五歳だった。
 同じころ、冬子も胸を病んで故郷仙台の病床にあった。
 信じられないほどの変わりようだったという。
 そんな冬子を気遣って、周囲の人たちは透谷の死をひた隠しにした。
 だが、虫が知らせたのか、冬子が透谷の死を追うようにして亡くなったのは、
 その一カ月後の六月二十二日である。
 死後、冬子の体を清めようと衣を解くと、懐から白い紙包みが出てきた。
 透谷からの手紙であった。
 (森まゆみ『明治快女伝 わたしはわたしよ』文春文庫、2000年)

斎藤冬子と北村透谷、ほぼ時を同じくして天に召されたのは、何を意味するのか。
故郷の宮城病院に入院した斎藤冬子を見舞っていた、相馬黒光は、
北村透谷の自殺の報を知り、「聞かせてはならない」と皆して思ったこと、
懐から北村透谷の手紙が出てきたことも、と書いています。
「ああお冬さんは透谷の後を追うて死んだのだ」
相馬黒光は、そう直感したのです。
また、残された妻、石阪美那子のその後もまた、特筆すべきものがあります。

余談
「まんぷく」、萬平さんが8年間で何を築いたのか、職員と何をしたのか。
パーラー白薔薇、野呂さんのお店という設定にしなかったのはなぜなのか。
野呂さんも喫茶店をやっていたけど、再登場は急遽だったのか。
昨日の「アナザーストーリー」、北川悦吏子さんがゲスト。
ロミオとジュリエットのバルコニーの場面を男女逆にしたシーンが、好き。
女の子に呼びかけさせたい、というのが面白かった。

Tag:本 

斎藤秀三郎(2)

斎藤秀三郎、という名前は、英語や英語教育の問題からではなく、
相馬黒光、明治女学校からの連想で思い出したのでした。
相馬黒光は、明治女学校を回想して、斎藤秀三郎に触れています。

 お冬さんは、英語学者では知らぬ人もない、あの斎藤秀三郎さんの令妹で、
 お家は仙台藩の士族、恰度私とお冬さんのお父さんとは
 藩の同僚という関係でございました。
 当時斎藤家には二男二女あって、いずれも秀才、
 長男の秀三郎さんはあの通りの立派なもの、次ぎがお冬さん、
 弟さんもなかなかすぐれていて、大いに前途を嘱望されていましたが、
 惜しいことにこの人は熊本の高等学校在学中に、その地で病死しました。

「お冬さん」とは、斎藤秀三郎の妹の斎藤冬子。
相馬黒光は、斎藤兄妹と同じく、仙台藩の士族の娘でした。
斎藤秀三郎に関して、相馬黒光は「天才的」ながら「奇抜」だった、と言います。

 秀三郎さんの語学の才はお父さんの代から既に根ざされたもので、
 明治といってもまだほんとうにはじめの頃、仙台で英語を知っていたのは
 男では斎藤さん(父)、女では私の叔母(母の妹)の星艶(後に佐々城豊寿)
 この二人だけであったということです。
 私が子供の頃にも、
 東京で勉強中の秀三郎さんからお家へ来る手紙はみんな英語で、
 それをお父さんが辞書を引き引き読んでおられるということを
 よく聞いたものでございます。
 何だか不自由なような話ですが、
 如何にも語学の天才の生れる家らしいところがあり、
 お冬さんにも、たしかにこの血は通っていました。
 天才的な秀三郎さんには、なかなか奇抜なところがあり、
 吉原通いの結果、或る問題を起して、
 帝大を退学になったのなどもその逸話の一つですが、
 これも当時の青年の一面を語るもので、
 いまから見れば放埓とより考えられない行いも、
 いわゆる浩然の気を養うというところでしたか、
 大学は退学になっても実力をもってぐんぐん世にあらわれ、遂に大を成す、
 こういう気迫はちょっと今の世に見られぬもの、また解されぬものであります。
 お冬さんが恐らく日本で最初の学校ストライキの首謀者として追放されたのも、
 事の性質こそ違え、やはりこの兄の妹らしいはげしさによるもので、
 明晰な頭脳、確固とした信念、
 そして何処かに自由人らしい毅然としたものがあったことは、
 実に私の眼に鮮かな印象をのこしております。
 (相馬黒光『黙移』日本図書センター、1997年)

斎藤冬子は、ストライキを起こした女学生たちの中の年長で、中心人物。
その頭脳明晰、聡明で、毅然とした「指導者」らしさは、兄譲りだというわけです。
それをいえば、相馬黒光もまた、叔母である佐々城豊寿譲りの性質も。
……という次第から、斎藤秀三郎の名前を思い出したのです。

Tag:本 

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