2017
10.13

「7歳で早世した鳥取の文学少女・田中千鳥」

Category: 日記
電子の波に乗っていて、「千鳥」という夭折した少女のことを知りました。

 7歳で早世した鳥取の文学少女・田中千鳥を映画で再評価
 生誕100年に合わせ19、20日に県内で上映

 自然や身の回りを素直な目で見つめた詩を数多く作りながら、
 わずか7歳で生涯を閉じた鳥取県出身の田中千鳥(1917~24年)。
 今年の生誕100年に合わせ、
 千鳥の世界を再評価しようと短編映画「千鳥百年」が制作された。
 全国に先がけ、19、20日、県内で記念公開される。
 千鳥は気高郡正条村(今の鳥取市気高町)生まれ。
 5歳で自由詩を作り始めた。
 体が弱く7歳で早世するまで、40編の詩をはじめ、
 作文、日記、お話などをつづった。
 山陰初の女性新聞記者とされ、
 作家としても活躍した母、古代子(こよこ)は娘の早すぎる死を悼み、
 創作を「千鳥遺稿」としてまとめている。
 「千鳥百年」を制作した映画監督、田中幸夫さん(65)は10年ほど前、
 再版された同書などを読む機会があり、
 千鳥の創作に感銘を受けて映画の構想を温めた。
 「幼い千鳥は、先入観のない目で見たままを詩にした。
 それが深く、余韻のある文学にしている」
 その映像化にあたり、この1年ほど、
 大山、岩美町、弓ケ浜半島など鳥取県内をロケ。
 「千鳥は何を見ていたか。何に感動して詩を書いたのか」を求め、
 シンプルで深みのある詩に感応する風景や被写体を探した。
 それは時に、虫食いの葉っぱであったりもしたという。
 30分間の映像に、千鳥の詩十数編の朗読、
 スウェーデンの伝統唱法・キュールニングで「千鳥百年」を構成した。
 映画は、19日に琴浦町生涯学習センター、
 20日に米子ガイナックスシアター、倉吉交流プラザ、
 鳥取市総合福祉センターさざんか会館で上映。
 入場料500円。来春、東京や大阪などで公開を予定している。
 (2017年8月10日「産経ニュース」)

千鳥はもちろんですが、その母の涌島(田中)古代子も気になります。
「山陰初の女性新聞記者とされ、作家としても活躍した母」。
古代子は、大正8(1919)年、大阪朝日新聞社創立40年記念懸賞小説選外佳作。
そのときの一等入選は、あの吉屋信子でした。
千鳥を失った後、古代子も、38歳の若さで死去しています。

余談
「わろてんか」、藤吉からも新一からも、「笑っていてほしい」と言われた、てん。
本当に困難がやってきたとき、てんは、その宿命を重荷に感じるのでは?
笑いは藥になるけれど、笑うって簡単なことじゃない、とならないと。
「笑う」の反対は「泣く」だろうけど、泣いてもいいよ、と誰がてんに許すのか。
2017
10.09

佐渡鈍翁茶会

Category: 日記
電子の波に乗っていて、「佐渡鈍翁茶会」が開催されたことを知りました。
旧三井物産の初代社長、益田孝は、佐渡市相川の出身とか。
茶人としても知られ、鈍翁(どんのう)と号し、「千利休以来の大茶人」と言われた。
嘉永元(1848)年生まれの益田孝は、来年で生誕170年を迎えます。
来年は明治維新150年でもあり、益田孝の功績を称えるため、2017年度から、
益田孝の父、鷹之助が務めていた佐渡奉行所において、
「佐渡鈍翁茶会」を開催することになった、とのこと。
今年、9月23日と24日に開催され、鈍翁ゆかりの茶道具などが展示されたよう。
生家は佐渡金山の地元役人で、鷹之助は佐渡奉行所で勘定方でした。
ちなみに、言うまでもなく、益田孝の妹は、あの瓜生(永井)繁子。
津田梅子や大山捨松とともに、日本初の女子留学生として、
アメリカで音楽を学び、帰国後は瓜生外吉と結婚して、音楽教師を続けました。
2017
09.15

「片岡球子、城山に眠る 疎開先・浄永寺との約束」

Category: 日記
ネットの波に乗っていて、こんな記事を発見しました。

 片岡球子、城山に眠る 疎開先・浄永寺との約束

 昭和~平成時代に、型破りな構図と独特の色使いで活躍した
 日本画家・片岡球子。
 教育者の顔も持つ彼女は今、
 教員時代の思い出の地・光秀山浄永寺(城山)で永久の眠りについている。
 球子が小田原にやってきたのは終戦1年前の1944年8月のこと。
 戦禍を逃れ、大岡国民学校(横浜)の児童を連れ、浄永寺に疎開してきた。
 当時、小学3年生だった中橋教樹住職(83)は
 「子どもにも、自分にも厳しい方だった」と記憶している。
 率先して寺の掃除を買って出たり、
 熱を出した児童に一晩寄り添って看病するなど、
 模範となるべく自らの行動で示していたという。
 子どもたちを寝かしつけた後は、6畳一間の一室で、
 夜な夜な創作活動に没頭していた。
 浄永寺とのつながりはその後の作品にも反映され、
 代表作の一つ『面構・日蓮』は
 同寺の日蓮聖人木像をデッサン=写真=して、仕上げたとされている。
 終戦後、球子は先代住職の故・中橋教徹氏に
 「私が死んだら、ここにお墓をお願いしたい」と告げて帰浜。
 以後、愛知芸大で学生らに教鞭を取りながら、
 『面構』や『富士』シリーズなど次々と世に送り出した。
 その間、手紙や贈り物のやり取りなどを通し、
 寺との縁は途切れることがなかった。
 2008年、103歳の寿命を全うした球子。
 生前の約束を継ぎ、境内奥に建立された墓所には、直筆の名が彫られている。
 かつての教え子が時折参る姿もあり、
 彼女の姿を見て教員の道を歩んだ中橋住職は
 「個性を曝(さら)け出す描き方、生き方を示してくださった」と語った。
 (2017年5月20日「タウンニュース」)

疎開先で生徒たちに厳しく接しつつ、夜中には創作活動をしていた、片岡球子。
いい時代ではなかったのかな、と思ったりもしますが、
片岡球子にとって、何か心に残る、画家として成長した時期だったのか、
よほど小田原が気に入り、今は疎開先だった寺に眠るとか。

余談
「ひよっこ」、名前にこだわってきた作品、時子は「和泉真琴」という芸名に。
2017
06.22

マリア・テレジア生誕300年

Category: 日記
2017年は、あのマリア・テレジア女帝の生誕300年にあたるそうです。
マリア・テレジアが生まれたのは、1717年5月13日。

 「女帝」マリア・テレジア生誕300年、オーストリアで祝賀行事

 オーストリアでは13日、マリア・テレジア(Maria Theresa)の生誕300年を祝い、
 人々がコンサートやシャンパンでハプスブルク(Habsburg)家
 唯一の「女帝」に敬意を表した。
 マリア・テレジアが君臨した1740年からの40年間は、
 行政と教育が発展した時代とされる。
 一方で彼女は領土支配を強化し、「国母」と呼ばれた。
 13日は首都ウィーン(Vienna)の博物館でさまざまな催しが行われるなど、
 オーストリア全土が祝福の雰囲気に包まれた。
 (AFPBB News/2017年5月14日)

マリー・アントワネットの母である、マリア・テレジア。
マリー・アントワネットやハプスブルク家のことには、実は興味があります。
おもしろいな、と思っているのは、悲劇の王妃その人ではなくて、
その周辺の人々に関する本が、続々と出版されている点。

 安達正勝『死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男』
 (集英社新書、2003年12月)
 スーザン・ネーゲル/櫻井郁恵 (訳) 『
 マリー・テレーズ 恐怖政治の子供、マリー・アントワネットの娘の運命』
 (近代文藝社、2009年12月)
 石井美樹子『マリー・アントワネットの宮廷画家
 ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』(河出書房新社、2011年2月)
 シェル・サポリ/北浦春香 (訳)
 『ローズ・ベルタン マリー・アントワネットのモード大臣』(白水社、2012年1月)
 パウル・クリストフ (編)/藤川芳朗(訳)
 『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』
 (岩波人文書セレクション、2015年10月)
 イネス・ド・ケルタンギ/ダコスタ吉村花子(訳)
 『カンパン夫人 フランス革命を生き抜いた首席侍女』(白水社、2016年8月)
 ウィル・バショア/阿部寿美代 (訳)
 『マリーアントワネットの髪結い 素顔の王妃を見た男』(原書房、2017年2月)

マリー・アントワネットと母、マリア・テレジアの往復書簡集もあります。
ああ、ルブラン婦人とか、ローズ・ベルタンとかカンパン夫人は、
あの名作漫画にも登場していたな、と思うレベルしか知識がありませんが……。
周辺人物から歴史をたどろうとするのは、面白いなと期待しています。
2017
04.27

四月も終わる……

Category: 日記
下落合で、牡丹を観賞しました。


シャガの花も、咲いていました。


八重桜がまだ少し咲き残る中、藤棚も美しい。


マンションの花壇でも、チューリップがかわいらしく咲いています。


ピンクのチューリップは、「プリティプリンセス」という名前だそう。


あと数日で風薫る五月、新緑もきれいな季節になりました。
鬱々、ペースのつかめない新年度、連休をきっかけに立て直したい。

余談
「ひよっこ」、宗男おじさんは、せっかく東京に行くのだから自由に、とみね子に。
たとえば、「まれ」とはちがい、みね子は、夢があって上京するのでも、
都会にあこがれて上京するのでもない、そこはまだ「いいとこ」ではない。
(失踪したお父ちゃんだって、今、自由なのだろうか。)
今から言うのもあれだけれど、ラスト、みね子はここに戻るのだろうか。
何者でもないヒロインの優しい物語、じんわり来るなあとしみじみ。
偉業を成し遂げた「坂東すみれ」なのに、「べっぴんさん」はこれがやりたかった?
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