2017
09.13

東洋英和、山梨英和、静岡英和が連携協定

Category: 村岡花子
ネットの波に乗っていて、こんな記事を発見しました。
この記事によれば、「起源をベースにして、
地域をまたいでの大学間協定は大変珍し」い、といい、意外な印象も。
地域を異にしつつも、同じルーツをもつ学校は少なからずあると思いますが、
交流や協力がないのはもったいないな、と単純に感じます。

 カナダ・メソジスト婦人伝道会が明治半ばに創立した
 東洋英和、山梨英和、静岡英和 起源をベースに包括連携協定を締結

 カナダ・メソジスト婦人伝道会を開学のルーツとする
 静岡英和学院大学・静岡英和学院大学短期大学部(静岡市)と
 山梨英和大学(山梨県甲府市)、
 東洋英和女学院大学(神奈川県横浜市)が8日、
 包括連携に関する協定を締結した。
 各大学の学長および関係者10人が出席し、
 静岡英和学院大学(静岡市)で締結式が行われた。
 大学間協定の中でも、起源をベースにして、
 地域をまたいでの大学間協定は大変珍しく、
 今後さまざまな先進的取り組みを実施することが期待される。
 3大学は、毎年度開催している「3英和(法人)懇談会」の中で
 大学分団協議の場を持ち、
 ルーツを共にする3大学連携についての可能性を模索してきた。
 それを踏まえ、学生や教職員の交流および
 研修を具体的連携事項として正式に協定を締結し、
 相互のさらなる活性化、発展を図っていくことになった。
 東洋英和女学院は1884年、カナダ・メソジスト婦人伝道会から派遣された
 宣教師マーサ・J・カートメルによって設立された。
 2014年のNHK連続テレビ小説「花子とアン」で
 「私立修和女学校」として描かれたことでも有名だ。
 静岡英和学院は87年、カナダ・メソジスト婦人伝道会の
 宣教師M・J・カニンガムを初代校長として創立し、
 91年からその経営を同伝道会が引き受けた。
 そして89年には山梨英和学院が、
 やはりカナダ・メソジスト婦人伝道会に教育実務を委託して設立された。
 協定の具体的な連携事項として、
 ▽高等教育および諸活動に対する連携、
 ▽学生の交流、▽教職員の交流および研修、
 ▽その他、3英和大学が必要と認める事業を挙げる。
 締結式の中で静岡英和学院大学の柴田敏学長は、
 「ルーツを同じくする3大学での結び付きを強め、
 さらなる教育の充実を図っていきたい」と話した。
 (2017年6月14日「クリスチャントゥデイ」)

こうした連携の動きも、ドラマの影響で学校が注目された余波でしょうか。
村岡花子は、東洋英和女学校の出身ですが、生まれたのは山梨。
父の安中逸平は、静岡で茶の行商中にカナダ・メソジスト派の教会に出入りし、
その思想に傾倒、布教の流れに沿って山梨の甲府に移り住んだとか。
幼児洗礼を受けていた花子は、その縁で東洋英和女学校の給費生となった。
卒業後、花子は、山梨英和女学校で教えましたし、戦後には、
静岡英和女学校でも講演を行ったり、それはやはり結びつきがあったはず。
http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3162.html

余談
SNSで苦手な有名人の名前をあげて、嫌いとか、消えてとか、辞めろとか、
わざわざそういう発信をするのは、単なるつぶやきなのだろうけども、
好きなこと、好きな人のことだけをつぶやけばいいのにね、と思う。
テレビの向こう側にいる相手だから言える、でも、その言葉は暴力的。
ところで、23区内の私立大学の定員数の問題。
地方に安定した、魅力ある職場や暮らしやすい環境があれば、
東京に進学しても、故郷に戻るチャンスが生まれる。
学生時代に東京で学び、色々な人に出会い、様々な経験をするのもいい。
そこでの学び、人脈、経験などを持って帰れば、財産になる。
2017
03.27

夏目漱石と佐佐木雪子

Category: 村岡花子
さて、藤島雪子(後の佐佐木信綱夫人)の名前、どこかで……と思ったら、
夏目鏡子述/松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)。

 ある日、夏目が私のもっていた、「文芸倶楽部」を取りあげて、
 つくづく巻頭の短冊を眺めておりました。
 それは「文芸倶楽部」のふるい臨時増刊で、
 閨秀小説号ともいうべきものでして、そこには三宅花圃、大塚楠緒子、
 藤島雪子(佐佐木信綱夫人)御三人の石板刷りの短冊がならべてあるのです。
 三宅さんの歌が、
   朧々かすめる夜半の月かげに 匂ひそひたる山桜かな
 大塚さんの歌が、
   君まさずなりにし頃とながむれば 若葉がくてに桜ちるなり
 藤島さんののが、
   雲雀(ひばり)なく声もたのしく聞ゆなり さかきが岡の春の夕暮
 というのです。
 皆美しいかな書きでしたが、わけても三宅さんの出来栄えがいいので、
 夏目もしきりと感心してほめておりました。
 それから大塚さんの歌を、
 「お安くない歌だ。おおかた大塚が留守なんでこんな歌ができたのだろうが、
 大塚も仕合わせな男だ」
 などと申します。
 (夏目鏡子述/松岡譲筆録『漱石の思い出』文春文庫、1994年)

本書の中でも、これは有名な部分かもしれません。
夏目漱石は、残念ながら、3人の短歌のうち、三宅花圃のものをほめ、
藤島雪子の短歌については、コメントがありません。
藤島雪子は、結婚する以前、佐佐木門下に入り、短歌を学んでいたとか。

余談
来年の大河ドラマ「西郷どん」の追加キャスト、いよいよ発表。
篤姫はまだ、これから発表されるキャストも含めて、とても楽しみ。
2017
03.26

佐佐木雪子=藤島雪子

Category: 村岡花子
さて、佐佐木信綱の妻、雪子は、明治女学校の出身です。

 雪子は、富山、千葉両県知事や日本勧業銀行副総裁も務めた
 父藤島正健(まさたけ)の一人娘として生まれた。
 信綱を支えるだけでなく、自ら随筆を書いて
 信綱主宰の機関誌に連載したり短歌をつくったりした。
 結婚前、短歌で信綱に弟子入りしていた。
 (2015年11月6日「朝日新聞」三重、電子版)
 http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3806.html

雪子の父である、藤島正健は熊本藩士の藤島昌和の息子。
雪子の祖母・藤島茂登子は、矢嶋直明・鶴子夫妻の長女にあたり、
妹に横井小楠夫人の横井つせ子、徳富一敬夫人の徳富久子、
熊本女学校を創設した竹崎順子、日本基督教婦人矯風会の会頭・矢嶋楫子。
つまり、藤島正健と徳富蘇峰は、母方の従兄弟同士にあたり、
藤島正健は、佐佐木信綱と雪子の子・逸人を養子に迎えているとか。
そういった関係構造も気になるところ、何か見えてきそう。
何はともあれ、佐佐木雪子の旧姓は「藤島」である、とわかります。

 明治二十七年(一八九四)
 四月二十一日午後六時より第七回卒業式(高等科第三回)が行はれ、
 高等科四名 松井セツ・藤戸クス・斎藤フユ・佐藤スケ、
 普通科二八名 春木ユキ・原イネ・原サワ・富井ミネ・渡辺モウ・高橋イト・
 中西アサ・中山ミツ・登坂コト・大和田ムラ・大須賀キヨ・山口ヨシ・沢野テイ・
 湯谷クラ・三浦コウ・下平タケ・下山トメ・守山キン・千住イハ・鈴木ヨシ、
 撰科 伊藤マン・染谷イネ・塚原フミ・松尾トラ・江タエ・綾井コセン・増山キク・
 藤島ユキの卒業生あり(三七七号)。
 佐藤輔子告別の辞をよむ。
 (青山なを『明治女学校の研究』慶應通信、1970年)

明治27(1894)年、明治女学校の卒業生名簿に、
撰科の卒業生として、藤島ユキ、後の佐佐木雪子の名前が見えます。
撰科まで卒業し、小説なども書いていた、才媛でした。
明治女学校は、明治28(1895)年、火災で被害を受けますが、
新築費募集バザーが開かれ、その発起人の中には、
矢嶋楫子、横井小楠の甥で養子となった横井左平太の妻の横井玉子も。

余談
「おんな城主 直虎」、正次が不憫……。
亀として生きていく直虎、そうやって添い遂げる2人。
正次はもう、直親には勝てないし……。
2017
03.25

片山廣子、白蓮の短歌に祈り

Category: 村岡花子
安中(村岡)花子も出席した、柳原白蓮の歌集『踏繪』出版記念会に、
片山廣子も出席していたことを、書き残しています。

 ふみ絵の作者に
 麻布で初めておめにかかりました時には、
 たった十分ばかりしかお話し致しませんでした。
 それから神田ではあんまり大勢の方々の中で
 なおさらなんにも申し上げられませんでした。
 それでもちょっとでもあなたにおめどおり致すことのできましたのを
 うれしく思います。
 今までお歌によって想像しておりましたあなたは
 薔薇の花のように美しくはでな方と思っておりましたが、
 ほんとうのあなたはフリージヤのさびしい匂いのある、
 さぎ草のようになつかしい、むらさきの藤の花の気高さのあるお方でした。
 その後あなたのお歌にも
 そのさびしみとなつかしさと気高さとを見ることができました。

片山廣子もまた、何とも美しい言葉で、『踏繪』を評しています。
最初に会ったのが「麻布」とあるのは、麻布の東洋英和女学校のことでしょう。
片山廣子も、柳原白蓮や村岡花子と同じく、東洋英和女学校の出身。

 ふみ絵の歌を最も沈痛深刻とかいって新聞に公告されてありました。
 また真面目にそういって評する人もありました。
 しかしあなたのお歌はそれほど沈痛とも深刻とも思われません。
 やさしい強い京おんなの血をうけたあなたが折にふれてのためいきを
 言葉に並べただけのものではありますまいか。
 深刻というのは、いい換えれば陰気なことです。
 読んで頭がめちゃめちゃにいやな気持になることです。
 あなたのお歌にはそんな気分はありません。
 あなたの歌はあなたのさびしい美しい境遇によって
 つくり出された歌なのです。
 その点は誰もあなたの真似をすることはできません。
 そしてあなたは誰の真似もなさってはいらっしゃらないのです。

片山廣子は、柳原白蓮の短歌を、何ものにも、万葉にも捉われていない、
「つくった歌でなく、詠じた歌」として、嫉妬まで感じるとまで高く評価しています。
長谷川時雨の関心よりも、片山廣子は、作者の境遇から距離を置いた、
短歌それじたいと向き合って評しているのかな、と感じます。
また、そうであるようにと、片山廣子は柳原白蓮に注文をつけています。

 あなたは何時までも何にも捉われずに、ほんとのあなたの歌をおよみ下さい。
 あなたのかなしみとよろこびはほかの人のではないのです。
 この後あなたが最初にあなたの歌をつくり出したそのあなたの境遇、
 いい換えれば、あなたの歌の背景に捉われておしまいなさらないようにと
 私は切にのぞみます。
 たとえその背景はどんなに大きいにせよ美しいにせよさびしいにせよ、
 それに捉われた時にあなたの歌は死ぬのです。
 (片山廣子(松村みね子)「歌集『踏絵』
 『心の花』第19巻第5号、大正4(1915)年5月)

汽車の都合で早くに退出し、出版記念会ではゆっくりと話せなかった、
柳原白蓮に対して、祈りのようなくぎをさす、片山廣子でした。

余談
「ごちそうさん」が最終回、戦後、亜貴子先生は出てこなかったけど、
再婚したのは軍医さん、無事だったのかな。
亜貴子先生は、医者として戦中、戦後は忙しかっただろうけど、安否は。
あれ、スピンオフに出ていたのかしら?
2017
03.24

長谷川時雨、白蓮に魅了される

Category: 村岡花子
安中(村岡)花子も出席した、柳原白蓮の歌集『踏繪』出版記念会で、
長谷川時雨の評はさすがに美しかった、と佐佐木信綱の妻、雪子は言います。
http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-4151.html
長谷川時雨その人も、その出版記念会について書いていました。
そこではじめて、長谷川時雨は、柳原白蓮と会ったそうで、
それはまた、安中(村岡)花子にはじめて会ったのと同時だったことになります。

 白蓮さんを見たのは、歌集『踏絵』が出て、
 神田錦町の三河屋という西洋料理やで披露があったとき、
 佐佐木信綱先生から、ご招待があったのでいったときだった。
 柳原伯夫人のお姉さんの、樺山常子夫人が介添で、しっとりとしていられたが、
 白蓮さんには『踏絵』で感じた人柄よりも、ちょくで、
 うるおいがないと思ったのは、あまりに『踏絵』の序文が、
 
 (中略)

 こういう書き方であって、しかも『踏絵』が次に示すような、悲哀をおびた、
 情熱的ななかに、悲しい諦めさえみせているので、
 感じやすいわたしは自分から、
 すっかりつくりあげた人品を「嫦娥」というふうにきめてしまっていたのだった。
 『踏絵』の装幀が、古い沼の水のような青い色に、見返しが銀で、
 白蓮にたとえたとかきいたが、それからくる感じも手伝って、
 嫦娥と思いこませ、この世の人にはない気高さを、
 まだ見ぬ作者から受け取ろうとしていた。

「嫦娥」とは、「中国神話にみえる月神」「中国古代の伝説に登場する女性」とか。
ここから、当日、白蓮に付き添っていたのはやはり、
兄の柳原義光の妻、(川村)花子の姉である常子であった、とわかります。
装幀や見返しが銀色であったということは、話題だったようです。

 だが、わたしは、そのおりの印象を、ふらんすの貴婦人のように、
 細やかに美しい、凜としているといっている。
 そして、泉鏡花さんに、『踏絵』の和歌(うた)から想像した、
 火のような情を、涙のように美しく冷たい体で包んでしまった、
 この玲瓏たる貴女を、
 貴下の筆で活かしてくださいと古い美人伝ではいっている。
 貴下のお書きになる種々な人物のなかで、わたくしの一番好きな、
 気高い、いつも白と紫の衣を重ねて着ているような、
 なんとなく霊気といったものが、その女をとりまいている。
 たとえていえば、玲瓏たる富士の峰が紫に透いて見えるような型の、
 貴女をといっている。
 これはだいぶ歌集『踏絵』に魅せられていた。

この文章もまた、さすがは長谷川時雨、とても美しい柳原白蓮評です。

 たしかに、わたしは『踏絵』のうたと序文によっぱらいすぎてはいたが、
 昔ならば、女御、后がねとよばれるきわの女性が、つくし人にさらわれて、
 遠いあなたの空から、都をしのび、いまは哲学めいた読ものを好むとあれば、
 わたしの夢んだロマンスは上々のもので、かえって実在の人を見て、
 いますこしうちしめりておわし給へ、と願ったのもよんどころない。
 それほどに『踏絵』一巻は人の心をとらえた。
 (長谷川時雨「柳原燁子」『近代美人伝』大空社、1994年)

長谷川時雨、悲劇の美女としての柳原白蓮に陶酔していたように読めます。

余談
「山田孝之のカンヌ映画祭」、前回まではもう見ていられない感じだった。
山田さんに再会した芦田愛菜さん、菩薩のような微笑み。
美しさ、聡明さ、優しさ、いたわり、許し、慈愛?
受験勉強に励みながら、こんな夏を過ごしていたとは。
映画には芦田愛菜さんも友情出演しているようですが、次は、
親子、ではないな、何かの形で2人に共演してもらいたいなと思います。
少女が成長していくひと夏を目撃した、そんな感じ。
また、山田孝之と山下監督の激動を視点人物として見つめたのも芦田さん。
エンディングに流れる、フランス映画のような映像の雰囲気がとてもよかった。
「いつか芦田さんのような大人になるため、
山田孝之は現実をぶち壊し続けて生きていきます」(山田孝之)
「この映画を芦田愛菜さんに捧げます」(山下監督)
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