2017
03.27

夏目漱石と佐佐木雪子

Category: 村岡花子
さて、藤島雪子(後の佐佐木信綱夫人)の名前、どこかで……と思ったら、
夏目鏡子述/松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)。

 ある日、夏目が私のもっていた、「文芸倶楽部」を取りあげて、
 つくづく巻頭の短冊を眺めておりました。
 それは「文芸倶楽部」のふるい臨時増刊で、
 閨秀小説号ともいうべきものでして、そこには三宅花圃、大塚楠緒子、
 藤島雪子(佐佐木信綱夫人)御三人の石板刷りの短冊がならべてあるのです。
 三宅さんの歌が、
   朧々かすめる夜半の月かげに 匂ひそひたる山桜かな
 大塚さんの歌が、
   君まさずなりにし頃とながむれば 若葉がくてに桜ちるなり
 藤島さんののが、
   雲雀(ひばり)なく声もたのしく聞ゆなり さかきが岡の春の夕暮
 というのです。
 皆美しいかな書きでしたが、わけても三宅さんの出来栄えがいいので、
 夏目もしきりと感心してほめておりました。
 それから大塚さんの歌を、
 「お安くない歌だ。おおかた大塚が留守なんでこんな歌ができたのだろうが、
 大塚も仕合わせな男だ」
 などと申します。
 (夏目鏡子述/松岡譲筆録『漱石の思い出』文春文庫、1994年)

本書の中でも、これは有名な部分かもしれません。
夏目漱石は、残念ながら、3人の短歌のうち、三宅花圃のものをほめ、
藤島雪子の短歌については、コメントがありません。
藤島雪子は、結婚する以前、佐佐木門下に入り、短歌を学んでいたとか。

余談
来年の大河ドラマ「西郷どん」の追加キャスト、いよいよ発表。
篤姫はまだ、これから発表されるキャストも含めて、とても楽しみ。
2017
03.26

佐佐木雪子=藤島雪子

Category: 村岡花子
さて、佐佐木信綱の妻、雪子は、明治女学校の出身です。

 雪子は、富山、千葉両県知事や日本勧業銀行副総裁も務めた
 父藤島正健(まさたけ)の一人娘として生まれた。
 信綱を支えるだけでなく、自ら随筆を書いて
 信綱主宰の機関誌に連載したり短歌をつくったりした。
 結婚前、短歌で信綱に弟子入りしていた。
 (2015年11月6日「朝日新聞」三重、電子版)
 http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3806.html

雪子の父である、藤島正健は熊本藩士の藤島昌和の息子。
雪子の祖母・藤島茂登子は、矢嶋直明・鶴子夫妻の長女にあたり、
妹に横井小楠夫人の横井つせ子、徳富一敬夫人の徳富久子、
熊本女学校を創設した竹崎順子、日本基督教婦人矯風会の会頭・矢嶋楫子。
つまり、藤島正健と徳富蘇峰は、母方の従兄弟同士にあたり、
藤島正健は、佐佐木信綱と雪子の子・逸人を養子に迎えているとか。
そういった関係構造も気になるところ、何か見えてきそう。
何はともあれ、佐佐木雪子の旧姓は「藤島」である、とわかります。

 明治二十七年(一八九四)
 四月二十一日午後六時より第七回卒業式(高等科第三回)が行はれ、
 高等科四名 松井セツ・藤戸クス・斎藤フユ・佐藤スケ、
 普通科二八名 春木ユキ・原イネ・原サワ・富井ミネ・渡辺モウ・高橋イト・
 中西アサ・中山ミツ・登坂コト・大和田ムラ・大須賀キヨ・山口ヨシ・沢野テイ・
 湯谷クラ・三浦コウ・下平タケ・下山トメ・守山キン・千住イハ・鈴木ヨシ、
 撰科 伊藤マン・染谷イネ・塚原フミ・松尾トラ・江タエ・綾井コセン・増山キク・
 藤島ユキの卒業生あり(三七七号)。
 佐藤輔子告別の辞をよむ。
 (青山なを『明治女学校の研究』慶應通信、1970年)

明治27(1894)年、明治女学校の卒業生名簿に、
撰科の卒業生として、藤島ユキ、後の佐佐木雪子の名前が見えます。
撰科まで卒業し、小説なども書いていた、才媛でした。
明治女学校は、明治28(1895)年、火災で被害を受けますが、
新築費募集バザーが開かれ、その発起人の中には、
矢嶋楫子、横井小楠の甥で養子となった横井左平太の妻の横井玉子も。

余談
「おんな城主 直虎」、正次が不憫……。
亀として生きていく直虎、そうやって添い遂げる2人。
正次はもう、直親には勝てないし……。
2017
03.25

片山廣子、白蓮の短歌に祈り

Category: 村岡花子
安中(村岡)花子も出席した、柳原白蓮の歌集『踏繪』出版記念会に、
片山廣子も出席していたことを、書き残しています。

 ふみ絵の作者に
 麻布で初めておめにかかりました時には、
 たった十分ばかりしかお話し致しませんでした。
 それから神田ではあんまり大勢の方々の中で
 なおさらなんにも申し上げられませんでした。
 それでもちょっとでもあなたにおめどおり致すことのできましたのを
 うれしく思います。
 今までお歌によって想像しておりましたあなたは
 薔薇の花のように美しくはでな方と思っておりましたが、
 ほんとうのあなたはフリージヤのさびしい匂いのある、
 さぎ草のようになつかしい、むらさきの藤の花の気高さのあるお方でした。
 その後あなたのお歌にも
 そのさびしみとなつかしさと気高さとを見ることができました。

片山廣子もまた、何とも美しい言葉で、『踏繪』を評しています。
最初に会ったのが「麻布」とあるのは、麻布の東洋英和女学校のことでしょう。
片山廣子も、柳原白蓮や村岡花子と同じく、東洋英和女学校の出身。

 ふみ絵の歌を最も沈痛深刻とかいって新聞に公告されてありました。
 また真面目にそういって評する人もありました。
 しかしあなたのお歌はそれほど沈痛とも深刻とも思われません。
 やさしい強い京おんなの血をうけたあなたが折にふれてのためいきを
 言葉に並べただけのものではありますまいか。
 深刻というのは、いい換えれば陰気なことです。
 読んで頭がめちゃめちゃにいやな気持になることです。
 あなたのお歌にはそんな気分はありません。
 あなたの歌はあなたのさびしい美しい境遇によって
 つくり出された歌なのです。
 その点は誰もあなたの真似をすることはできません。
 そしてあなたは誰の真似もなさってはいらっしゃらないのです。

片山廣子は、柳原白蓮の短歌を、何ものにも、万葉にも捉われていない、
「つくった歌でなく、詠じた歌」として、嫉妬まで感じるとまで高く評価しています。
長谷川時雨の関心よりも、片山廣子は、作者の境遇から距離を置いた、
短歌それじたいと向き合って評しているのかな、と感じます。
また、そうであるようにと、片山廣子は柳原白蓮に注文をつけています。

 あなたは何時までも何にも捉われずに、ほんとのあなたの歌をおよみ下さい。
 あなたのかなしみとよろこびはほかの人のではないのです。
 この後あなたが最初にあなたの歌をつくり出したそのあなたの境遇、
 いい換えれば、あなたの歌の背景に捉われておしまいなさらないようにと
 私は切にのぞみます。
 たとえその背景はどんなに大きいにせよ美しいにせよさびしいにせよ、
 それに捉われた時にあなたの歌は死ぬのです。
 (片山廣子(松村みね子)「歌集『踏絵』
 『心の花』第19巻第5号、大正4(1915)年5月)

汽車の都合で早くに退出し、出版記念会ではゆっくりと話せなかった、
柳原白蓮に対して、祈りのようなくぎをさす、片山廣子でした。

余談
「ごちそうさん」が最終回、戦後、亜貴子先生は出てこなかったけど、
再婚したのは軍医さん、無事だったのかな。
亜貴子先生は、医者として戦中、戦後は忙しかっただろうけど、安否は。
あれ、スピンオフに出ていたのかしら?
2017
03.24

長谷川時雨、白蓮に魅了される

Category: 村岡花子
安中(村岡)花子も出席した、柳原白蓮の歌集『踏繪』出版記念会で、
長谷川時雨の評はさすがに美しかった、と佐佐木信綱の妻、雪子は言います。
http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-4151.html
長谷川時雨その人も、その出版記念会について書いていました。
そこではじめて、長谷川時雨は、柳原白蓮と会ったそうで、
それはまた、安中(村岡)花子にはじめて会ったのと同時だったことになります。

 白蓮さんを見たのは、歌集『踏絵』が出て、
 神田錦町の三河屋という西洋料理やで披露があったとき、
 佐佐木信綱先生から、ご招待があったのでいったときだった。
 柳原伯夫人のお姉さんの、樺山常子夫人が介添で、しっとりとしていられたが、
 白蓮さんには『踏絵』で感じた人柄よりも、ちょくで、
 うるおいがないと思ったのは、あまりに『踏絵』の序文が、
 
 (中略)

 こういう書き方であって、しかも『踏絵』が次に示すような、悲哀をおびた、
 情熱的ななかに、悲しい諦めさえみせているので、
 感じやすいわたしは自分から、
 すっかりつくりあげた人品を「嫦娥」というふうにきめてしまっていたのだった。
 『踏絵』の装幀が、古い沼の水のような青い色に、見返しが銀で、
 白蓮にたとえたとかきいたが、それからくる感じも手伝って、
 嫦娥と思いこませ、この世の人にはない気高さを、
 まだ見ぬ作者から受け取ろうとしていた。

「嫦娥」とは、「中国神話にみえる月神」「中国古代の伝説に登場する女性」とか。
ここから、当日、白蓮に付き添っていたのはやはり、
兄の柳原義光の妻、(川村)花子の姉である常子であった、とわかります。
装幀や見返しが銀色であったということは、話題だったようです。

 だが、わたしは、そのおりの印象を、ふらんすの貴婦人のように、
 細やかに美しい、凜としているといっている。
 そして、泉鏡花さんに、『踏絵』の和歌(うた)から想像した、
 火のような情を、涙のように美しく冷たい体で包んでしまった、
 この玲瓏たる貴女を、
 貴下の筆で活かしてくださいと古い美人伝ではいっている。
 貴下のお書きになる種々な人物のなかで、わたくしの一番好きな、
 気高い、いつも白と紫の衣を重ねて着ているような、
 なんとなく霊気といったものが、その女をとりまいている。
 たとえていえば、玲瓏たる富士の峰が紫に透いて見えるような型の、
 貴女をといっている。
 これはだいぶ歌集『踏絵』に魅せられていた。

この文章もまた、さすがは長谷川時雨、とても美しい柳原白蓮評です。

 たしかに、わたしは『踏絵』のうたと序文によっぱらいすぎてはいたが、
 昔ならば、女御、后がねとよばれるきわの女性が、つくし人にさらわれて、
 遠いあなたの空から、都をしのび、いまは哲学めいた読ものを好むとあれば、
 わたしの夢んだロマンスは上々のもので、かえって実在の人を見て、
 いますこしうちしめりておわし給へ、と願ったのもよんどころない。
 それほどに『踏絵』一巻は人の心をとらえた。
 (長谷川時雨「柳原燁子」『近代美人伝』大空社、1994年)

長谷川時雨、悲劇の美女としての柳原白蓮に陶酔していたように読めます。

余談
「山田孝之のカンヌ映画祭」、前回まではもう見ていられない感じだった。
山田さんに再会した芦田愛菜さん、菩薩のような微笑み。
美しさ、聡明さ、優しさ、いたわり、許し、慈愛?
受験勉強に励みながら、こんな夏を過ごしていたとは。
映画には芦田愛菜さんも友情出演しているようですが、次は、
親子、ではないな、何かの形で2人に共演してもらいたいなと思います。
少女が成長していくひと夏を目撃した、そんな感じ。
また、山田孝之と山下監督の激動を視点人物として見つめたのも芦田さん。
エンディングに流れる、フランス映画のような映像の雰囲気がとてもよかった。
「いつか芦田さんのような大人になるため、
山田孝之は現実をぶち壊し続けて生きていきます」(山田孝之)
「この映画を芦田愛菜さんに捧げます」(山下監督)
2017
03.23

安中(村岡)花子、三河屋で長谷川時雨と初対面

Category: 村岡花子
安中(村岡)花子が、柳原白蓮の歌集『踏繪』出版記念会に出席していたことは、
彼女自身、長谷川時雨を悼むエッセイの中で明かしていました。

 きのう(昭和十六年八月二十四日)芝・青松寺での葬儀に
 佐佐木信綱博士が寄せられた弔歌の中にも

  今は昔小川町なる講義の日 源氏をきくと君来まししか

 とあったが、私は佐佐木先生のその「小川町」のお宅へは
 たった一度しか上がったことはなく、
 あとは今の西片町のお宅でお教えを受けたけれど、
 はじめて時雨女史のお姿を見たのはとにかく、
 佐佐木先生のところのお稽古日の帰りみちでのことだった。
 もっとも、それは私の方でだけ見たので
 あちらさまは一向に御存じのなかったことで、
 その日私は先生のところで御一緒になった片山廣子夫人に連れられて、
 日本橋の裏通りを歩いていた。
 その時に、向こうがわの通りを時雨女史が
 ついと横切って行かれたのだった。
 「あれが時雨さんよ。美しい方でしょう?」と片山夫人が私に言った。
 ほんの一瞬間のことであったが、
 不思議にその夕暮の情景が記憶の底に灼きつけられている。

長谷川時雨が主宰していた『女人芸術』には、村岡花子も関わっていました。
(「花子とアン」には、長谷川時雨らしき、「長谷部汀」がちらりと登場。)
このエッセイの冒頭でも、「東京婦人会館でも、
理事としていろいろお世話になっていた」とし、感謝しています。
(東京婦人会館は、日本で最初の「婦人のための教養クラブ」 の産経学園。)
長谷川時雨は、昭和16(1941)年8月22日に亡くなり、24日、
芝の青松寺で営まれた、「輝ク部隊葬」には600人が参列したとか。

 狭い道をへだてて、私の眼の前を風のように過ぎて行った楚々たる麗人と、
 その後しばらくして、白蓮女史の処女歌集『踏絵』出版記念の小集で
 隣り合って坐り、佐佐木先生のおひきあわせで、はじめて御挨拶をした。
 (村岡花子「長谷川時雨女史」を憶う」
 『村岡花子エッセイ集 曲り角のその先に』河出書房新社、2014年)

赤い花を髪にさしていた安中(村岡)花子は、長谷川時雨の隣に座ったのです。
神田錦町の三河屋で、佐佐木信綱によって引き合わされたわけでした。
大正4(1915)年4月6日、そんな出会いがあったとわかるだけで胸が高鳴ります。

余談
「べっぴんさん」、キアリスの新社長が武ちゃんっていいな。
栄輔さんは、日本最初の「ファッション評論家」?
キアリスを引退するみんなに、ゆりは「お互い、新しいステージ」。
そこで、栄輔さんが明美さんに、いっしょに住もう。
女1人働いて貯めたお金で、明美さんが2人で暮らす家を建てる。
確かに、栄輔さんから赤い(刺繍)糸を受け取ったのは明美さんだった。
境遇の似た2人で共鳴するところはあったけど、このタイミングとは。
仕事を引退してからも、人生は続き、次のステージがある。
もう少し、2人の関係の伏線がわかりやすくあってもよかったのかも。
明美さん、ずっとあそこに間借りみたいな形で、ようやく「家を建てる」。
「カルテット」、「東京タラレバ娘」は、年代はちがうけれど、
どちらも主戦場にいられなくなった主人公たちで、もがいていて、近い気も。
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