『命みじかし恋せよ乙女』

頭痛と肩こりに苦しんだ日曜日は、のんびり、ゆったりと読書。
中村圭子編『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』
(河出書房新社、2017年)を、読みました。

 姦通罪による投獄 北原白秋×松下俊子・江口章子
 恋愛なき心中未遂 平塚らいてう×森田草平
 運命の出会い 平塚らいてう×奥村博史
 歌姫の情熱 与謝野晶子×与謝野鉄幹
 姪との禁じられた恋 島崎藤村×島崎こま子
 後追い自殺の衝撃 松井須磨子×島村抱月
 サッフォーのごとく 田村俊子×長沼智恵子・田村松魚・鈴木悦
 私は誘惑していません 原阿佐緒×石原純
 人妻との山荘情死事件 有島武郎×波多野秋子
 筑紫の女王、恋の出奔 白蓮×宮崎龍介
 「魔女事件」「妻譲渡事件」 佐藤春夫×谷崎千代
 追うときも別れるときも潔く 藤原あき×藤原義江
 友情の絆は、色恋の関係より強いか 澤モリノ×石井漠
 恋愛放浪 山田順子×竹久夢二・徳田秋聲
 「椿姫事件」そして「雪の国境越え」 岡田嘉子×竹内良一・杉本良吉

この目次を見ただけで、大正時代の才媛たちの波瀾万丈な一生が偲ばれます。
また、いつだって女を翻弄するのは男なのだ、ということも思います。
帯封には、「事実は小説より奇なり」とありますが、本当に。

余談1
「西郷どん」、小さな沖永良部島では、斉彬公の思想と計画が実現できる。
反発する人がいても、共鳴する人の輪がひろがり、協力してやれる。
日本全体も、世界から見たら小さな島国なのに、できない。
予告で「斉彬公に似てきた」と吉之助を言っていたのは、この経験ゆえか。
敬天愛人の思想は、今日の内容で示されたのでは?
「八重の桜」でも、覚馬や尚之助がナポレオンの話をしていたかな?

余談2
「半分、青い。」、視聴が追い付いていないのですが、
漫画の道に入った鈴愛に後れをとったと思う律が、ロボット産業に興味。
1990年代、「夢しかない」という弱小研究室。
でも、律は、回り道をしながらも(当初の志望校だった)京都大学の院に進み、
ロボットを研究(そのきっかけは鈴愛の耳)し、成功した。
回り道がテーマの1つだろうとは思うけど、鈴愛も律も、
2人の関係性をめぐっては、その回り道を信じすぎていたのかな。
羽根より軽い口をもつ鈴愛なのに、肝心なことを律に伝えていなかたのだなぁ。
朝ドラのヒロインって、多かれ少なかれ無神経で鈍感だよね、と思う。
「井の中の蛙 大海を知らず されど空の青さを知る」
サンズイに青の清さんが言っていて、感動。
はぐれていた迷子がやっと会えたみたいな律と清は、「間に合った」2人。
「鈴愛は律でも、律はちがう」、今、聞くと、本当に切ない。
正人に恋しながらも、鈴愛は律を思っていた。
「半分、片思い」「半分、両想い」って、きっとこれからもそうなのかもしれない。

Tag:柳原白蓮 

吉井勇の日記に京都・馬町空襲

歌人の吉井勇の日記に、京都の馬町空襲の記述があることがわかった、という。
吉井勇の遺した日記については、2015年に公開されたばかりなのだとか。

 歌人吉井勇の日記に京都・馬町空襲 「轟然たる爆裂音…」

 京都ゆかりの歌人吉井勇(1886~1960年)の日記に、
 1945年1月16日の「馬町空襲」についての記述があることが分かった。
 京都府立京都学・歴彩館(京都市左京区)所蔵の「洛東日録」で、
 静岡県立大の細川光洋教授(日本近代文学)が初めて確認した。
 「一睡したりと思ふ間もなく轟然(ごうぜん)たる爆裂音に目覚む」
 などと書かれている。
 文学者による馬町空襲の記述は珍しいという。
 戦時下の吉井の日記は歴彩館で長く非公開となっていた。
 2015年秋から研究目的の特別閲覧が認められ、
 細川教授が遺族の了解を得て翻刻を進めてきた。

つまり、日記を見るには、研究目的の特別閲覧、遺族の許可が必要なのかな。

 日記はB6判のノート2冊で和漢混交の文語文でペン書きされている。
 東山区を襲った馬町空襲の当時、
 約3キロ離れた平安神宮近くに住んでいた吉井は、
 午後9時前に就寝したが爆裂音で起こされたと記す。
 「まさに投彈とおもふと同時に飛行機の爆音。
 五分ほどして警戒警報。情報は傳へて曰く、敵機京都の北方に在り、
 轉じて名古屋に向ふと」とある。
 翌日には、川柳作家の岸本水府に聞いた話として
 「昨夜の爆音と同時に煙砂の匂ひを嗅ぎたりといふ。
 或ひは北白川あたりか」と書いた。ま
 た、「聴くところに依れば昨夜の爆撃は五條阪なるよし」と触れ、
 「いよいよ京洛も修羅の巷か」と強い危機感を示した。
 2日後の18日には「聴くところに依れば一昨夜の投彈は九個。
 死者三十名ほど。爆風のため白井氏宅の窓硝子も壊れたる由。
 いよいよ戰禍身近に迫るの感あり」と記録。
 22日には、疎開すべきかを妻の孝子と語ったとあり、
 24日に「熟考の結果疎開と決定」と、富山県八尾への避難を決める。
 29日には「京都府下に投彈」とあり、木津川空襲を指すとみられる。
 細川教授は「馬町空襲が、
 吉井の富山疎開のきっかけになったことを示す貴重な資料」と話す。

 ■地域史的にも貴重

 馬町空襲に詳しい坂口満宏京都女子大教授(日本史)の話
 文学者による馬町空襲の記述は初めて聞いた。
 市民の日記が表に出ることはほとんどなく、
 当時の同時代的な受け止め方を知る記録は少ない。
 文学史だけでなく、地域史においても貴重な資料と言える。
 (2018年3月30日「京都新聞」電子版)

柳原白蓮などに関する記述は、やはり見つかっていないのでしょうか。
文学者や名のある人物だけでなく、一般の人の日記も含め、貴重な史料です。

余談
まだまだ視聴が追い付かない、「半分、青い。」。
鈴愛と律、将来はともかく、一度は「半分」にならなければいけなかったのかな。

Tag:柳原白蓮 

「伊藤家の『小史』」を寄贈

電子の波に乗っていたら、気になる記事に出会いました。

 伝右衛門の孫・興十郎さん、伊藤家の「小史」を飯塚市に 
 市立図書館で閲覧、貸し出し 生い立ちや白蓮事件…/福岡

 「筑豊の炭鉱王」と称された伊藤伝右衛門(1861~1947年)と
 伊藤家の歴史をつづった冊子「わが家の小史」(A5判139ページ)が28日、
 伝右衛門の孫にあたる伊藤興十郎さん(78)=福岡市南区在住=から
 飯塚市へ寄贈された。
 飯塚市立の5図書館で閲覧・貸し出しされる。
 「わが家の小史」の著者は、日高家に嫁した伝右衛門の妹キタの子で、
 伝右衛門の養子になった伊藤八郎。
 伝右衛門の存命中に企画され出版には至らなかった伝記の原稿を基に、
 身内向けの「ニュースレター」として父・伝右衛門の人となりをつづったもので
 1987年に自費出版され関係者に配られた。
 伊藤家の出自に始まり、伝右衛門の生い立ちや石炭との関わり、
 3度の結婚、とりわけ継母となった柳原白蓮と「白蓮事件」のことなど、
 等身大の伝右衛門像が記されている。
 伝右衛門の実像を伝える資料として今回、500部再版され、
 うち15冊が市立図書館に贈られることになり、
 同市幸袋の旧伊藤伝右衛門邸であった寄贈式で、
 興十郎さんから西大輔・市教育長に手渡された。
 興十郎さんは幼少の頃、福岡市平尾に
 伝右衛門が八郎のために建てた家で晩年の伝右衛門と接した。
 「朝のあいさつに行くと、入れ歯を外してニコニコしながら
 『かみつくぞ』と孫を追い回していたことを思い出す」という。
 再版について「祖父のことを正しく理解してもらえれば」と話した。
 旧伊藤邸の売店「ミュージアムショップ白蓮」で1冊600円で販売し、
 売り上げの一部は飯塚観光協会に寄付される。
 (2018年4月29日「毎日新聞」/筑豊版)

孫にあたる伊藤興十郎さんは、晩年の伊藤伝右衛門に会ったことがある。
伊藤伝右衛門の生前から企画されていた伝記、ぜひ読んでみたい。
柳原白蓮のことは、どのように記されているのか。
そういえば、伊藤伝右衛門の創設した奨学金は、今も続いているとか。

 「白蓮事件」後の心情も 伊藤伝右衛門の人生つづる「わが家の小史」
 親族が図書館へ寄贈

 筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の養子、八郎さん(故人)が
 伝右衛門の人となりについてまとめた本「わが家の小史」を、
 八郎さんの四男興十郎さん(78)=福岡市在住=が28日、
 飯塚市立図書館に計15冊寄贈した。
 わが家の小史は、八郎さんが1987年に50冊ほど作製。
 当時は親族に配布するために作られたが、
 多くの人に伝右衛門のことを知ってもらおうと、
 興十郎さんと弟の忠臣さん(故人)が昨年、500冊増刷した。
 八郎さんから見た伝右衛門の人生を
 12章の項目でつづっており、全139ページ。
 伝右衛門の人間性について、
 「堅実で華やいだ処の全々ない真面目人間」と記すほか、
 八郎さんの継母に当たる柳原白蓮の記憶や、宮崎龍介と出奔し、
 世間を騒がせた「白蓮事件」後の伊藤家の心情なども書かれている。
 同市の観光スポット、旧伊藤邸の入館者は、
 NHK連続テレビ小説「花子とアン」が放送された2014年度は
 約31万5千人だったが、昨年度は約6万7千人と低迷。
 市は今回寄贈された15冊を市内の図書館5館で貸し出すほか、
 別に旧伊藤邸の案内ボランティアなど関係者にも配布する。
 増刷分の残りは同邸内で600円(税込み)で販売している。
 西大輔教育長は「功績を伝える貴重な書籍を多くの方に見てもらうことで、
 旧伊藤邸のにぎわいづくりに弾みがつけば」と期待。
 興十郎さんは「いつもニコニコしていた顔が印象に残っている。
 (本を通して)伝右衛門のことを理解してほしい」と話した。
 (2018年4月29日「西日本新聞朝刊」)

こちらの記事の方が詳しく、本の残部は(伝右衛門邸で?)販売している模様。
「『白蓮事件』後の伊藤家の心情」とは、ますます気になってきます。
伊藤伝右衛門邸は、「花子とアン」の人気で入館者が増えるより以前は、
存続の危機があり、林真理子さんも維持のための運動をしていたと聞きます。 

Tag:柳原白蓮 

「追慕抄 九條武子」展

そういえば、遠方のために断念した「追慕抄 九條武子」が今も悔やまれます。
大正3美人の1人の九條武子、柳原白蓮と同様に関心があります。

 生涯たどる 作品やドレス80点 龍谷ミュージアム 

 特集展示「追慕抄 九條武子」が
 京都市下京区の龍谷大学龍谷ミュージアムで開かれている。
 九條は京都女子大設立に尽力した歌人で、「大正三美人」とも称された。
 幼少から40歳で急逝するまでの歩みを、
 肖像写真や自筆の和歌、日本画など約80点でたどっている。
 2月19日まで。
 九條武子は西本願寺の第21世明如宗主の次女として1887年に誕生。
 男爵・九條良致(よしむね)と結婚後は、
 京都女子高等専門学校(現・京都女子大)の設立に携わった。
 一方で、歌集の出版や、日本画家・上村松園に手ほどきを受けるなど、
 芸術面でも才能を発揮した。
 1923年の関東大震災では自らも東京で被災しながら救援活動に関わり、
 被災児童救済施設の創設などにも尽くし、敗血症のため28年2月に亡くなった。
 会場には武子が着たドレスの複製も展示している。
 ミュージアム学芸員の和田秀寿さん(55)は
 「活動だけ見ればとてもお嬢様と思えず、
 実家では『サル』と呼ばれるほどアクティブだった人。
 小説に書かれたりもしているが、今回は史実のみを展示した」と話す。
 (2017年1月14日「毎日新聞」京都版)

記事にあるように、確かに「お嬢様」とは思えないような活躍ぶりでしたが、
でも、一方で、「お嬢様」だからこそできたのかもしれません。
「お嬢様」とは、教養や知識がそれなりにあり、多少なりとも天衣無縫。

余談
華がある、というのはどの分野でも強い吸引力だなあと思う。
したたかさも演出も戦略もたくましい、一方で優雅、エレガントに見える。
ハイヒールをコツコツ鳴らせ、おじさんたちを従えて先頭を歩くのは格好いい。
その単純なイメージは期待感を抱かせるから、あのPR動画はすごいなと印象。

Tag:柳原白蓮 

三宅艶子の母、やす子

井原あや『〈スキャンダラスな女〉を欲望する 文学・女性週刊誌・ジェンダー』
(青弓社、2015年)が取り上げていた、「実名連載小説」。
「禁じられた恋に生きた女たち」の第1回は、三宅艶子による「柳原白蓮」。
村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫、2011年)掲載の、
昭和18(1943)年8月30日、吉屋信子邸に集った女性作家たちの写真に、
村岡花子、吉屋信子、林芙美子、宇野千代らとともに、三宅艶子も映ります。
戦時下の女性作家の集まりで、村岡花子と三宅艶子は同席していました。

 三宅艶子(みやけ つやこ)
 1912-1994 昭和-平成時代の小説家、評論家。
 大正元年11月23日生まれ。三宅恒方(つねかた)・やす子の長女。
 画家阿部金剛と結婚、阿部艶子名で執筆し、離婚後は三宅姓をつかう。
 昭和33年随筆集「男性飼育法」を発表、
 ユニークなタイトルで女性の人気をよんだ。
 ほかに小説集「きづな」など。
 平成6年1月17日死去。81歳。東京出身。文化学院卒。
 (コトバンク/デジタル版日本人名大辞典+Plus)

母の三宅やす子、娘の三宅菊子も作家で、母の代から宇野千代と親しかった。
夏目漱石に師事したという、三宅やす子にも注目したい点があります。
三宅やす子は、明治23(1890)年生まれ、昭和7(1932)年に亡くなりました。
東京女子高等師範学校付属高等女学校を卒業し、夏目漱石、小宮豊隆に師事。
女学校の同級に杉田久女がいて、ライバル関係にあったとか。
昆虫学者三宅恒方と結婚、大正10(1921)年の夫が死後に文筆活動に入った。
(奇しくも白蓮事件と同じ年、三宅やす子も「ノラ」だったのかもしれない。)
三宅やす子の墓は、宇野千代、長谷川時雨などの有志で多磨霊園に建てられた。
ちなみに、近代女性作家の先駆となった三宅花圃は、三宅雪嶺の妻で、
その甥が、三宅やす子の夫の三宅恒方。
三宅花圃の父、田辺太一の甥が、琵琶湖疎水を作った田辺朔郎で、
その妻は、同志社女学校卒業で、土倉政子の友であった北垣静子です。
実は、三宅やす子は、京都師範学校校長であった加藤正矩の娘で、京都で誕生。
父の加藤正矩は加藤弘之の弟で、三宅やす子は加藤弘之の姪にあたります。
そして、父の加藤正矩の経歴に関しても興味は尽きませんが、
同じ出石藩出身、植松左武郎の娘を養女に迎えています。
三宅やす子の義理の姉妹となった養女は、キリスト教伝道者の河本香芽子。
河本香芽子は慶応2(1866)年誕生、三宅やす子の義姉になります。
年齢差は24歳もあり、親しい関係だったかどうかはどうでしょう。

Tag:柳原白蓮 

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