2017
07.26

最愛の弟の死

Category: 女子教育
井上秀は、最愛の弟の死を経験して、より勉強に励むようになりました。
弟、井上順太郎は、チフスにかかり、明治25(1892)年8月、15歳で死去します。
京都から帰省するのも、この弟に会いたいからでした。

 弟はもう帰つて来ない。
 両親の悲しみ、寂しさを見るにつけ、私は自分にいいました。
 これからもつともつと努力して弟の分も荷いましよう、と。
 当時私の生涯に大変化が起りました。
 従来私は思うままに学問の道に専念し、
 世のため人のため尽し得られる人になるため、
 東京に遊学しようと思うて居りましたところ、偶然弟が死亡した為に、
 私が田舎の祖先譲りの家の相続人となりました。
 適当の養子をえらんで家を立てるということとなりました。
 すると方々から人が来て、
 この家の息子さんはいい出来だからどうかと縁談を持込んでくるのでした。
 父も母も、開けた考えをもつていてくれまして、
 当人がまだその気になつていませんからと、
 いくつかの申込をことわつてくれる様子でした。
 どこまでも、当人の気持が第一、養子の場合とりわけそうだと、
 父が養子であつた経験からでもありましようか、大変慎重にしてくれました。
 (『井上秀先生』桜楓会出版・編集部、1973年)

東京に行って学びたい、向学心の強い井上秀ならば、そう望むのは自然でしょう。
弟の死という不測の事態が起こらなければ、実現していたかもしれません。
明治女学校に進学したいと考え、当時の河原校長にまで相談して、
東京女子高等師範学校に入るための準備をしていた、そういう時期でした。
最愛の弟を失い、遊学の希望もかなわなくなり、結婚を強いられることになった、
その井上秀に、新たな希望の光をもたらしたのも、広岡浅子や亀子でした。

余談1
BSプレミアム「今夜はとことん! ピアノと日本人」、面白かったです。
シーボルトがはじめて日本に持ち込んだピアノが、萩にあるとは知らなかった。
明治時代、音楽取調掛の初代長官の井沢修二が取り上げられたものの、
あれ、日本初の女子留学生だった、瓜生(永井)繁子は紹介されなくて残念。
帰国した繁子は、音楽取調掛で、井沢修二のもとでピアノを教えた。
実技試験の記録、幸田延の名前が出ていましたが、彼女も繁子の教え子。
ピアノで身を立てた、繁子はその初期の女性なのに。

余談2
「ひよっこ」、みね子が島谷に「ありがとう」と言う機会が訪れるのか、どうか。
早苗が言うように、たかが恋の1つが終わったくらいで、人生に決着はつかない。
いつかハッピーエンドになれば、それでいいのだ(ドラマはまだ終わらないし)。
退職金は当然、嫁入り道具を鈴子が用意するのは、高子に身寄りがないから?
昭和42(1967)年4月、3月には島谷は大学を卒業したはずが描かれない。
このあまりにあっさりとした別れは、今後の再登場を予感させるものなのか。
あかね荘にお引越しの愛子さん、住人たちとも富さんとも親しく。
独身女性が1人で生きてきた愛子さん、対人スキルが高い。
川本世津子、食べるために働いてきた、女優さんでも、みね子や皆と同じ。
みね子の方言にやはり反応しているのは、実が関わる?
2017
07.21

井上秀、母校の発展を祈る

Category: 女子教育
井上秀、母校の創立60周年の講演ですから、最後は母校の話に戻ります。
母校、京都府立第一高等女学校で教えられた「良妻賢母の意識」が、
その後の生き方に影響していることを述べ、感謝します。

 此學校で敎へられた良妻賢母の意識は何處に行つても働いて居つて
 その範囲外には出ないのであります。
 今日私の爲しつゝある凡ての事は良妻賢母論に根底を有し、
 唯之を擴大して今日の社會、國家、
 世界に及ぼさうといふに過ぎないのであります。
 此等は皆此學校に學び、
 先生方から多大の御指導をお受けしたお蔭であります。
 私が若しこの學校に入らなかつたならばもつと變挺な者でしたせう。
 もし京都の優しい穏健質實な感化を受けなかつたら
 きつと粗暴な者になつてゐた事だらうと思ひます。
 其外私の在學中暗に私を指導された先輩がありました。
 私の入學の時に卒業され後學校に職を奉じられて居りましたが、
 私はその人より非常に精神的な感化を受けました。
 かゝる先輩の感化が誠によい結果を齎らしました事も感謝して居ります。
 要するに私は此學校の敎育に對し殊に精神的感化に對して感謝致します。
 若し此學校の感化、敎育が私に與へられなかつたならば、
 餘程極端な人間であつたらうと考へるのであります。
 此の優美なる自然、古き歴史を有する校風、慈愛ある恩師先輩方に對し
 深き感謝と敬意を捧げて將來益々母校の發展され
 又諸先生皆様達の御健康を祈り、
 幾久しく此學校にお盡しあらん事を切望する次第であります。
 長く御靜聽頂きました事を厚く御禮申上げます。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

井上秀の講演は、母校への感謝、先生や先輩に対する感謝で閉じられました。
2017
07.20

井上秀が抱く夢

Category: 女子教育
井上秀自身、日本女子大学校の校長として抱く、夢についても、述べています。
学問をする上においても、男と女にはちがいがあるとし、
「妻たる意識を擴大」させて、その責任を担うべきである、と主張しますが、

 私は男女の學問をするにも各特色があつて
 女子のなし得る事に男子の出來ない事があるといふ點よりして、
 單に學問上のみでなく政治でも女は男と異つた考へを國政上に働かし
 男子の能はぬ事を女子がするといふ點に於ては
 婦人の参政に賛成致します。
 男の氣の付かぬ事に女が斡旋するのであります。
 例へば市町村の敎育問題、ガス、電氣、水道道路問題等より
 保険の問題に至る迄婦人が責任を持つべき部分は多くありませう。
 茲に妻たる意識を擴大して之を全うするといふ必要があり、
 又女子敎育に於てその責任を完うせしむるやう
 敎育する必要があると思ひます。
 女子大學を主張する意義がそこにあるのであつて
 女でなければならない所の學術の蘊奥を極め、
 更に高き文化の建設を圖るべきであると思ひ、
 又日本の女子高等敎育を世界に比べ
 最も特色あるものになし上げて行きたいと私は夢を描いてゐます。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

「男子の能はぬ事を女子がする」、その意味で、「婦人の参政」に賛成する。
井上秀は、そういう思想の中に、女子大学の意義をも説くのです。
現在は、誤解を招く恐れもあって、このような言い方はしないかもしれませんが、
男子とは異なる、女子の特性を生かす学問をする場所とよく言われた印象。
女子高等教育に対する世論も変化して、時代性を反映した考えなのでしょうが、
これは必要な、ある意味、説得力のあった過程だったのだろうと思います。
2017
07.19

夫婦は互いが「半身」となるべき

Category: 女子教育
井上秀、さすがにお話が上手で、後輩の女学生に問いかけています。

 貴女方に伺ひたく思ひます事は貴女方のお母様は貴女を理解し
 又貴女方は萬腔の尊敬を母に表し得るかといふ事であります。
 自分の母に萬腔の信頼と尊敬を持つてゐると
 答へ得る人はあまり無いでせう。
 或人は父は理解もあるが母はないと云はれます。
 娘が信頼を持つてゐぬ又持たれぬ母は賢母と云へませうか。
 假令わが子が大學敎育を受くる様になつても又職業に就かうとも
 いつ迄も萬腔の信頼と尊敬を捧げ得る母になつてこそ
 賢母と云はれるべきでせう。
 小學校時代はよいが中學、大學になると子供の心持が分らぬ様になり、
 又理解が出來なくなる様では母の價値はないのであつて、
 若し婦人が賢母である期待を持つならば、次の代の子供を作るべく
 自分の子の母として充分の力を養ひ責任を全うする事が大切であります。
 
これも母性神話というか、成長した子どもの気持ちがわからないようでは、
「母の價値はない」と言っているのは、何とも手厳しい。
ひとくちに「良妻賢母」主義といっても、決して楽な道ではないようです。

 又女學校、専門學校を卒業して結婚した人が妻となつた當時には、
 男子と知識の程度が同じ爲、
 夫のフレンドであり伴侶であり得まするが卒業後十年も經つと、
 母は家内にのみ閉ぢこもり家の事に心を捕はれて
 社會の問題には無頓着で過す爲、十年の後には
 夫から自分の妻として相談相手にせられるに足りない奥様となり下がります。
 そして家庭が淋しい有様になるのも妻の愚なる爲であります。
 良妻ならば夫の忠告者ともなり、夫のよりよき伴侶であり、
 而して夫婦が互によりよい半身で、異つたものが二人合作して
 一つの完全な人格を作つてゐるのであります。
 然るに夫はその時代と共におし進んで行くが
 妻の知識は漸次退下して行くといふのでは
 夫より信頼、尊敬を受ける妻にはなれません。
 斯く考へ來れば女子は一家の經済より國家の經済を思ひ、
 國の政治にも携さはる必要に迫られます。
 今日婦人参政権、公民權獲得に盡してゐる人もありますが
 何れも皆婦人としての立場より市町村の行政、
 國家の政治に對し責任の分擔を希望してゐるのであります。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

いや、本当に「良妻賢母」主義も、容易ではありません。
夫から信頼や尊敬を受け続けていくためには、妻には努力が必要。
家庭のことに捉われすぎていては、夫より「退下」してしまう。
ここで言っているのも、「良妻賢母」主義の中の夫婦平等のようにも聞こえる。
「良妻」であれば、夫と妻が「半身」となり、1つの人格を作る。
その先に、婦人参政権や公民権の獲得がある、という考え方は、なるほど、
昭和に入り、いわゆる「良妻賢母」主義も変化しているのか、と考えさせられます。

余談
「ひよっこ」、まだまだ乙女のような気がして、元気になった愛子さん。
就職が決まり、よかった、結果じゃなくて恋していることが大事とはそうだ。
愛子のそういう、ある意味、卓越した思いより、若者たちは波乱含み。
この年まで女一人で、とは、高子も愛子と同じ。
三男の勤める米屋さんも、そうか、父親と娘の物語(さおり、本名は米子……)。
島谷さん、お金持ちとはいえ、親の加齢を実感し、家を意識するように。
高子さん、まさか、三男のお兄さんと何か?
いつも思うのは、奥茨城から出てきた、宗男や滋子をはじめ、
時子のお兄さんや三男のお兄さんも、みんな、まあ当然の礼儀とはいえ、
東京の人たちに、「みね子をお願いします」と挨拶して、
すずふり亭のみんなも、それに応じる、それがすごくいいなと思っている。
漫画家さん、ハッピーエンドでお願いします、とは意味深な。
「過保護のカホコ」、ムンクの「叫び」が伏線とは。
2017
07.18

井上秀、「母性愛」の「擴大」を願う

Category: 女子教育
井上秀の講演の後半は、いわゆる「良妻賢母」に関してです。
この講演が行われた、昭和7(1932)年という、微妙な時代性も影響しています。
また、話が進むと、単なる「良妻賢母」主義ではないことも窺えてきます。

 私共日本女子は日本の女性として十分に特色を發揮する様
 考へねばならぬ事と思ひます。
 私は今では家庭を持ち夫もあり子も居りますが
 他方公職を持つて居りまして
 殊に敎育には大部分の力を注いで居りまする様に、
 自分は妻として母としての本務の外に一方公に盡すので
 盡す道に两道はありますが根本は一つだと考へてゐます。
 皆様も同じ事で將來家庭を持ち妻として又母として立つべき人であります
 如何なる婦人も母として立つ特殊の能力を
 天から與へられてゐるといふ自覺を持つべきです。
 卽ちどんな人も母性愛を豊かに惠まれてゐると考へます。
 學問上男と異る特性を啓發して行けば
 そこに從來に見ることの出來なかつた方面の分野が開かれます。
 又その母性愛が社會の氣の毒な人に働けば同情心となり
 河井夫人のお話になりました同情忍苦の奉仕の徳ともなります。
 最近女子に自覺を促されますが、
 この自覺はその母性たる點に自覺すべく又培ふべきであります。
 更に進んでは自分自身の生んだ子をよく育てる事に満足するだけでは
 時代の進運に伴ふことは出來ません。
 卽ち母性愛は更に擴大して我祖國の子供をよく育てる事に及び、
 更に發展しては我人類の種屬を保護する活動に迄進むべきでありませう。
 今日は敎育事業、社會事業、又國際的に働く女性もありますが
 何れも婦人の母たる徳を擴大したに過ぎません。
 自分の子を良くするといふ事にその人の働きが限られてゐるのは
 昭和の婦人ではありません。
 それは擴大して廣い意識の下に廣き世界に働きかける事が大切です。

女性はすべて、「母性愛を豊かに惠まれてゐる」という思想は古めかしい。
学問上も、その特性を生かしていけば、従来と異なる分野が開ける、と言います。
井上秀が主張しているのは、「昭和の婦人」の「母性愛」の「擴大」「發展」。
「自分の子を良くするといふ事にその人の働きが限られてゐる」のは、もう古典的。

 自分の子供より出發して村の子供、町の子供、
 日本全國の子供を良く敎育することは母性愛を擴大した事で
 母としての使命と考へられます。
 又兒童の教養、幼稚園、託兒所に力を注ぎ、
 我々の時代をよりよくする事により母性愛が圓熟します。
 そこ迄徹底せぬと自分の子供をよくする事は出來ませぬ。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

自身の「母性愛」を「擴大」していくことは、「母の使命」であって、
そこまでしなければ、そもそも、「自分の子供をよりよくする事」もできない。
来たるべき太平洋戦争を前にした時代、なるほど、という論理です。
同時に、女性の特質を「擴大」し、社会をよくしていく、という考え方は、
女性が社会進出していくときに、近年もよく囁かれていた文法だな、と思います。
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