2017
02.14

「岩佐又兵衛と源氏絵」展

先日、出光美術館で「岩佐又兵衛と源氏絵」を観てきました。

 開館50周年記念 〈古典〉への挑戦 岩佐又兵衛と源氏絵
 2017年1月8日~2月5日、出光美術館


今回の展示では、又兵衛の筆に限りませんが、風が吹き荒れていたり、
紅葉賀巻で青海波を舞う所作、絵合巻で絵画を運んでいる様子など、
動きのある、躍動感のある描き方が気になりました。
ポスターにもなっている、この光源氏の顔、誰かに似ている気がします。

余談
龍ちゃんはやりたいことを見つける、忠さんと喜代さんは自分探しの冒険に。
そして、俄かに(ちょっと予想はしていたけど)明美さんと栄輔は?
2016
12.30

「夢と知りせば」=「君の名は。」

2016年、後悔ばかり、時間の使い方が上手ではなかったと反省しきり。
この年の背を迎えても、やり残したこと、締切間際の問題を抱えていますが、
「シン・ゴジラ」は見たけれど、「君の名は。」を見れなかったことも残念。
「君の名は。」といえば、制作段階では、「夢と知りせば」のタイトルだったとか。

 春樹と真知子のすれちがいを描いて敗戦後の日本をわかせた
 NHKラジオ劇「君の名は」。
 題名の由来には諸説ある。
 一説には、当時放送界を統制していた占領軍幹部の早とちりという
 ▽「次作の題名を」。
 内容も決まっていない段階で一方的に迫る幹部に、
 NHKの折衝役がなぜか「君の名は…」とつぶやく。
 幹部は作品名と思い込み「いい題名だ」と即決する。
 後に聞かされた脚本家菊田一夫も半ばあきれる決まり方だったらしい
 (「悲劇喜劇」1980年3月号)
 ▽新作アニメ「君の名は。」を映画館で見た。
 主人公は三葉という女子高校生と男子高校生の瀧。
 互いの心が入れ替わるうち、思いを寄せ合う
 ▽新海誠監督の頭には当初「夢と知りせば」という題があった。
 夢と現実の織りなす物語だから、夢を詠んだ和歌から引いた。
 〈思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを〉。
 あの方を思いつつ眠ったから、夢に出てきたのか。
 夢と知っていたら目を覚まさなかったのに
 ▽古今和歌集にある小野小町の名歌である。
 検討の末「君の名は。」に落ち着いたものの、
 やはり先行の「君の名は」が有名ゆえためらいもあったそうだ
 ▽〈君の名は真知子と答え歳がバレ〉と先日の朝日川柳にある。
 筆者もショール姿の真知子がすぐ浮かぶ世代だ。
 いま劇場に駆け込む10代、20代はまず真知子を知るまい。
 数十年後もきっと、「瀧くん」と呼びかける三葉の声を思い浮かべるのだろう。
 君の名や昭和は遠くなりにけり。
 (2016年10月6日「朝日新聞」/「天声人語」)

主役と同世代の観客は、春樹と真知子の「君の名は」は知らないでしょうし、
「君の名は。」というタイトルがそれにかかっていることも、周知していないのでは。
私がおぼろげに知っているのも、リメイク版、朝ドラの「君の名は」ですが。
当初、想定されていたタイトルは、小野小町の和歌から引いた、「夢と知りせば」。
「夢と現実の織りなす物語だから、夢を詠んだ和歌から引いた」。
小野小町は、「夢」の歌人です。

 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを(古今集・552)
 うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき(古今集・553)
 いとせめて恋しき時はぬばたまの夜の衣を返してぞ着る(古今集・554)

「古今集」には、小野小町が詠んだ夢の恋の和歌が3首、並んでいます。
いずれも、「夢」における逢瀬を詠むことで、現実のつらさを強調する和歌です。
あの人を思いつつ寝たので、あの人が夢の中に見えたのだろうか、
もし夢と知っていたのなら、目覚めなかったのに……。
目覚めてしまえば、夢の世界の恋する人は消えてしまいます。
うたた寝をしていて、恋しい人を夢に見たから、はかない夢をあてにし始めた。
恋しくてたまらないときは、夜着を裏返しにして着るおまじないをする……。
2016年に大ヒットを記録し、若い人々の共感をよんだ作品の根底に、
小野小町の詠歌がひそんでいた、ということに、とても嬉しく思っています。

余談
大晦日、尚之助さま…ではなく、矢口蘭堂(長谷川博己さん)が紅白歌合戦を守る!
再び出現したゴジラを封じて、最後まで放送されますように。
(いや、今年は没後100年、来年は生誕150年だから、夏目漱石が出てきても……。)


そういえば、NHKカルチャーでもらってきていた、「直虎」のリーフレット。

追記
ノートルダム清心学園の理事長、渡辺和子氏が天に召されました。89歳。
2016
06.20

惟喬親王しのぶ法要、120年ぶり

2016年10月、あの在原業平と深く関わったことでも知られる、
惟喬親王をしのぶ法要が120年ぶりに催される、という記事がありました。 
2016年は、惟喬親王の没後1120年にあたるとか。

 「悲運の皇子」惟喬親王しのぶ 京都、120年ぶり法要開催へ

 平安時代に悲運の皇子として慕われた惟喬親王をしのぶ法要が10月、
 ゆかりの地である京都市左京区大原地域で約120年ぶりに開催される。
 大原には宮内庁が唯一認めた親王の陵墓がある。
 親王没後1120年を迎えるに当たり、親王をしのぶ祭りを毎年続ける
 東近江市の永源寺地区と初めて連携して企画した。
 大原の親王伝説を掘り起こす契機になりそうだ。
 惟喬親王は文徳天皇の第1皇子として生まれたが、異母弟が即位し、
 都を離れて各地の山里に隠れ住み、出家した。
 大原では親王亡き後、しのぶ法要が続いたが、
 明治期に千回忌法要を行って以降は途絶えた。
 「惟喬親王1120年鑚仰御遠忌大法要」と銘打ち、
 三千院門主の堀澤祖門さんを導師に、
 地元住民らでつくる実行委員会が10月10日に大原の勝林院で営む。
 併せて、市立京都大原学院で講演会を開き、
 「大原古文書研究会」の上田寿一さん(68)が司会を務め、
 永源寺地区の人々に木地師の技術を伝えたとされる親王について、
 木地師まとめ役の子孫という東近江市の小椋正清市長が語るほか、
 各地に残る親王伝説をたどる。
 法要に合わせ、親王の墓に近い国道367号沿いの特設会場で、
 大原の特産品や永源寺の木工品の製作実演・販売を行う。
 前夜祭でコンサートも予定する。
 企画した大原観光保勝会の辻美正会長(67)は
 「忘れかけられた親王にあらためて目を向け、
 観光振興にもつなげたい」と話す。
 (2016年5月19日「京都新聞」電子版)

文学史の上では、惟喬親王は決して忘れられてはいなかったのでしたが、
帝位につけず、無聊を風流で慰めた、惟喬親王。
藤原家が力をもっていた時代にあって、名門の出身ながら、
やはり鬱屈した思いを抱えつつ、和歌に心を慰めた、在原業平。
観光復興につなげるべく、大掛かりな企画になっているよう。 
2016
02.16

鉄幹と晶子、娘を思う短歌

与謝野晶子、鉄幹の短歌が、三女の小学校の同窓会誌の中に見つかりました。
これも全集には収録されていない、新発見の短歌3首が注目されます。

 鉄幹と晶子、娘を思う短歌…三女の同窓会誌に

 歌人の与謝野鉄幹(本名・寛、1873~1935年)、晶子(1878~1942年)夫妻が、
 里子に出した三女・佐保子の通う小学校の同窓会誌に寄稿した
 全集未収録の短歌3首が川崎市内で見つかった。
 6男6女に恵まれた夫妻は娘3人を幼い頃に里子に出しており、
 鉄幹が詠んだ1首は、三女に対する父親の心情を表現しているとみられる。
 専門家は「三女への愛情がうかがえる貴重な発見」としている。
 歌が寄稿されたのは、
 川崎市高津区の高津小学校同窓会誌「光」第3号(1922年5月発行)。
 義母が同小卒業生だった同区の男性宅で、90年以上保管されていたといい、
 郷土史家で区文化協会会長の鈴木穆さん(79)が調べた。
 与謝野晶子記念館(堺市)の森下明穂学芸員によると、
 掲載されていた4首のうち鉄幹の2首と晶子の1首が
 全集に収録されていない作品という。

     近作より    與謝野寛
   二葉より紫しつゝ羨まれ 摘まるゝ運を持てる苗かよ。
   梨の花棚に咲きつゝほのかにも 夕(ゆふべ)の影をうつしたる壁。
     近作より    與謝野晶子
   金星が身をすり寄せて初夏の 夕(ゆふべ)を嗅げる橄欖の島。
   巻き上げし髪のやうなる橄欖と 夕焼雲の静かなる時。

 (2016年2月14日「読売新聞」電子版)

与謝野家の家庭事情、親子関係の一端をのぞかせる、新発見のようです。
晶子の2首目だけは、全集に収録され、知られる短歌とのこと。

余談
あさが炭坑に行っている間、新次郎が成澤泉を探すことに。
平十郎(美和に会いたくて?)と美和の店に行くと、英語の歌を歌う成澤が。
あの歌は、実際に成瀬仁蔵が愛唱していたという。
瀬戸さん、これは当たり役かも?
広岡浅子は洋装で炭坑に赴いた、というけれど、そのシーンはなし。
「世界の女子教育の現状と、我が国の後れ……」
「私は一気に100人の味方を得たような心持ちです!」
「いいや、賛同者になって頂くだけでありがたいのです。
女子の大学校を設立するからには、発起人の中に、
聡明な女性に入ってもらいたかった!」
現在のところ、賛同者は11人のみ。
(日本女子大学校の発起人には、大山捨松も名を連ねています。)
あさから見れば、情熱だけが高ぶっている成澤は頼りない。
「うちは、先生と一つ心で、実際に役に立つことしたいんだす。
先生が、おなごの大学校という大きい大きい海に、
足滑らせることのう、飛び込むことができるよう、お手伝いがしたいんだす」
あさが見積もって、必要なお金は30万=15億円。
「西洋では、多くの学校が寄付によって成り立っています。
建学の精神に賛同してもらい、その方々から寄付を集めるのです」
あさは、成澤に立派な洋装を誂えてやった。
あさは、まず当面の運動資金を提供(あの厚みからいって大金)。
和歌山では、現在進行形の蜜柑の問題。
明日は、BSプレミアム「アナザーストーリーズSP 女傑 広岡浅子」。
2015
10.26

『田辺聖子の恋する文学』

『田辺聖子の恋する文学 一葉、晶子、芙美子』(新潮文庫、2015年)を読了。
『続 田辺聖子の古典まんだら』を改題、読みやすくて勉強にもなります。
講演録ということで、口調も滑らかで優しく、著者の声や息継ぎを感じるよう。

 わがよはひ盛りになれどいまだかの源氏の君のとひまさぬかな

与謝野晶子『春泥集』に収められた、娘時代を思い出して詠んだ一首。
待ちに待った源氏の君、それは鉄幹だったのでしょう。
鉄幹は、晶子と熱烈な恋をして結婚をしてからも、
経済的な援助までしてくれていた前妻、林滝野を忘れていなかったとか。
「男というのは、どうして告白しなくてもいいことを、口に出してしまうのでしょう」

 われよりもひたと心に抱かれて来しを思へば許しがたけれ
 懺悔して心にものの消え去ると思ふ幼き人にもあるかな
 女には懺悔を聞きて更に得る病ありとは知らざりしかな

嫉妬を知ってしまった晶子の短歌は、胸に迫るものがあります。

 こしかたやわれおのづから額くだる謂はばこの恋巨人のすがた

これは20代半ばの「凱歌のような歌」、晶子は巨人のような恋をした。
一筋縄ではいかない、晶子と鉄幹の関係です。

 足袋つぐやノラともならず教師妻

これは杉田久女の句、家庭に縛られた女の慟哭です。
大正11(1922)年2月号の『ホトトギス』に入選した、久女の一句。
柳原白蓮が宮崎龍介のもとに出奔して世を騒がせたのは、大正10(1921)年。
「そのニュースを知って、久女はどのように感じたでしょうか」
この句が発表された後、夫の中学教師・杉田宇内は怒り狂ったそう。
田辺聖子といえば、吉屋信子の大ファンとして知られます。

 蟬も哭(な)き人も泣きけり今日真昼

長かった戦争の終わった8月15日、再び小説が書けるようになりました。

 書き初めは恋の場面となりにけり

樋口一葉も与謝野晶子も、杉田久女も、吉屋信子、林芙美子も、
誤解されたり、貧しかったり、非難されたりして、
文学を取り上げられることがあっても、決して諦めることはなかった。
どん底から這い上がって、文学の道に戻りました。

 そうさせたのは負けん気なのか、執念深さなのか。
 もちろん精神的な強さがあってこそなのだろうが、
 もっと決定的に彼女たちを支えたのは、やはり才能なのだと思う。
 一家庭人に納まろうとする気持を許さない激しい才能が、
 本人さえもコントロールできないままに体の奥底から沸き上がり、
 彼女たちを文学の道へと導いた。
 そしてそれは例外なく、選択肢の中で最も困難な道だった。
 残された数々の作品の素晴らしさが、そのことを証明している。
 (『田辺聖子の恋する文学』(新潮文庫、2015年/小川洋子「解説」)

小川洋子の「解説」が指摘するように、田辺聖子の彼女たちへのまなざしは、
「公平」で「冷静」であるがゆえに、「誤解を解きほぐし」えています。
欠点さえも「魅力に転換する寛容さ」もあり、人物に奥行きがあるのです。
大好きな吉屋信子であっても、杉田久女に関して誤解を広めた点は指摘する。
だからこそ、書かずにいられなかった彼女たちがいとおしく思われます。
田辺聖子自身もまた、書かずにいられない、特別な才能を持った女性でしょう。



この赤い実がご近所になると、冬が近づいたなと気づくのです。
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