2017
06.14

与謝野晶子の「東海の春」10首

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与謝野晶子といえば……、で思い出しました。
いつか訪れてみたいなと願っているのは、熊本県の菊陽町図書館。
屈指の少女雑誌コレクションがあり、ぜひ実際に閲覧してみたい。
その「村崎コレクション」のうち、著作権が消滅している一部の内容に関して、
IRI(NPO法人 知的資源イニシアティブ)提供のシステムを利用し、
試行的に公開されていて、今後に期待しています。
著作権消滅の調査、少女雑誌資料のデジタル化については、
平成27年度、平成28年度の文化庁メディア芸術アーカイブ推進事業とか。
https://kikuyo.iri-project.org/
公開された『少女画報』の中で、大正15(1926)年1月号に注目。
全ページを見ることはできませんが、与謝野晶子の短歌のページが閲覧可能。

 東海の春    与謝野晶子
 元朝や東の海に咲く花はうどんげよりも珍らしきかな
 東より春きたるなり美しき少女(をとめ)の世をばたたへんがため
 わが子等が福寿草よりささやかに見ゆるもをかし元日の朝
 我が聞きていみじきものは羽子の音めでたきものは若水の音
 梅の花天より人のきりてこし枝の心地す元朝に見て
 少女子の心の上に先(ま)づ匂ふ春のくれなる春の金色(こんじき)
 ひんがしの豊旗雲のめでたさを思ひ知るやと春風ぞ吹く
 少女子が春の賀詞をば言ひ出づるよき日とこそは今日なりにけれ
 靑海も大川もまた高山もさらにいみじく見ゆる春かな
 土の上春の雲には似ざれども緑の草の現はれて來(き)ぬ

新年号らしく、新春を言祝いだ、与謝野晶子の詠歌10首です。
詠まれている「少女」とは、『少女画報』の読者でしょう。
注目の「村崎コレクション」は、すべてのデジタル公開が難しくても、
ほかの図書館、文学館には所蔵のない雑誌もあるはずで、
せめて目次だけでも、文字データにおこして公開してもらえたら、嬉しい。
人手も手間もかかる作業で、簡単ではないでしょうけれど……。

余談
「母になる」、「逃げ恥」以降、「呪い」というのがキーワード。
私もきっと「呪い」にかかってしまっているけれど、それはどうしようもないな。
広が柏崎家に戻ってから、彼の麻子に対する気持ちがよくわからなかった。
記憶にある母は麻子なのだし、もっと愛着や思慕とか、葛藤とか、
結衣への反発とか、あってもよかったのに、広はあくまでも素直ないい子。
それは、誘拐された3歳までに愛情を受けたから、だという。
でも、それでは、麻子と過ごした時間はどこに?
麻子にお知らせを送ってしまったのは、結衣に母親の自信がないから?
そうではなくて、広に恋人が……という成長過程を一緒に悩めたからでは?
過去の事件が原因で、麻子は旅館も解雇されてしまった。
いつか麻子を許せた結衣が広を連れて奥能登に行っても、麻子はいない。
「あの子を育ててくれて、ありがとう」
結衣が今こう言ったということは、実際に麻子に会いに行くことはない?
結衣のその言葉があれば、麻子は生きていけるのかもしれない。
麻子も広の母だった、ということだから。
麻子に呪いをかけた母の、その呪いを解いたのは結衣かもしれない。
だから、麻子はもう、広や結衣と会わないつもりだろう。
母になるために、結衣も麻子という呪いから解放される必要があった。
結衣が奪われた9年間で知ったように、麻子はその9年間、
広と過ごした時間で、何気ない日常が大切だと気づいたはず。
2017
06.13

与謝野鉄幹、岡山を詠んだ短歌発見

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岡山といえば、与謝野鉄幹が岡山を詠んだ、未発表の短歌が見つかった、
というようなニュースがあったことを、思い出しました。

 与謝野鉄幹 未発表作発見 直筆短冊に岡山を詠んだ歌
 吉備路文学館で公開中/岡山

 吉備路文学館(北区南方3)で開催中の特別展
 「与謝野寛(鉄幹)と晶子の旅」で初公開された鉄幹直筆の短冊の歌1首が、
 未発表作品とみられることが関係者への取材で分かった。
 特別展の展示資料には、
 同様に未発表とみられる鉄幹の歌2首があることが判明しており、
 文学館は「次々と見つかり、驚いている。
 思いがけないことでうれしい」と喜んでいる。
 短冊に記されている歌は
 「光りつつ沖をいくなりいかばかりたのしき夢をのする白帆ぞ」。
 1933年に鉄幹と妻の歌人・晶子が県内を巡った際に
 立ち寄った倉敷市南端の鷲羽山付近で見た海の光景を詠んだとみられる。
 この短冊は、夫妻の岡山巡りに随行した山陽新報(現・山陽新聞)の記者で
 歌人の故野田実氏の遺族宅に保管されていた。
 短冊は4本あり、他の3本は晶子の直筆。
 この3本に記された歌3首は、漢字表記と仮名表記の違いが一部あるものの、
 夫妻が岡山から帰京直後の33年7月に発行した
 歌誌「冬柏」(第4巻8号)に掲載されている。
 鉄幹は、同じ冬柏で
 「光りつつ久須見の埼をめぐる帆も今日は遊べる我が如きがな」を発表。
 鷲羽山南端の海に突き出た久須美鼻で見た光景を詠んでいる。
 短冊作品とは「光りつつ」と「帆」が共通しているが、
 与謝野晶子記念館(堺市)の森下明穂学芸員は
 「表現や視点が異なっている。同じ風景を詠んだ別の歌」と指摘。
 33年の岡山訪問時の作品は冬柏にまとめて発表されているが、
 短冊と類似の歌は見当たらないとし、
 「未発表歌と考えていいのでは」と話している。
 与謝野夫妻の展示を企画した吉備路文学館の熊代正英副館長は
 「埋もれていた資料の中に岡山を詠んだ歌があったことに感動した。
 与謝野夫妻は有名人だが、岡山で詠んだことはあまり知られていない。
 この機会に広く知ってもらえたら」と話している。

 他2首も可能性

 開催中の特別展「与謝野寛(鉄幹)と晶子の旅」では、
 未発表とみられる歌が他にも2首見つかっている。
 高梁市の山城・備中松山城から見える雲海の様子を詠んだ
 「城古(ふ)りし松山のみを空に立て霧を泳げる四方の峰々」と、
 新見市の井倉峡付近で見られる高梁川沿いの切り立った岩壁を詠んだ
 「岩山を空に立てたる溪の壁ゑがく(描く)がごとき夕もみぢかな」。
 (2017年4月19日「毎日新聞」電子版)

昭和8(1933)年の岡山旅行で、与謝野夫妻は高等女学校で講演をしたり、
観光を楽しんだりしており、夫妻の歌碑も立てられました。
与謝野夫妻の旅程は、山陽新報において逐一、報道されたのだとか。
その記事は、同行していた記者、歌人の野田実が書いたのでしょう。
与謝野鉄幹は、この僅か2年後の昭和10(1935)年3月26日に死去しています。
望んでいた再びの岡山旅行も、叶いませんでした。

余談
「クライシス」、ラストの意味するものは?
千種が田丸のアキレス腱だ、と言われてもいたから、続編構想あり?
「あなたのことはそれほど」、香子が、正論で説教するのは気持ちいい、
でも、愚かな恋に突き進むのが羨ましくもある、と言っていたのは、
最近の不倫報道、バッシングの構造なのだろう。
2017
06.05

『大奥の女たちの明治維新』

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安藤優一郎『大奥の女たちの明治維新』(朝日新書、2017年)、読了。
大奥で幕末を迎えた女、といえば、篤姫。
帯封には、「篤姫は江戸城奪還に命をかけた!」とあります。
敗者として明治維新を迎えた人々がいかに生き残りをかけたか、スリリングです。
中でも、「第三章 将軍家御典医・桂川家の娘が歩んだ数奇な運命」。
桂川甫周の娘として生まれた、今泉みねは、昭和12(1937)年mで生き抜きました。
父の桂川甫周(国興)は、幕府奥医師の頂点である法眼を務めた蘭学者。
今泉みねが残した『名ごりの夢』は、江戸時代を回顧した貴重な資料であり、
守り抜いた桂川家資料は、現在、早稲田大学図書館に所蔵されています。
そこで、思い出したのは、日本初の女子留学生の1人、上田悌子です。
上田悌子は、留学を断念して帰国しましたが、
その後、横浜のミッションスクールで学び、蘭方医・桂川甫純と結婚したのです。

 悌子の夫・桂川甫純は弘化三年に生まれ、悌子の九歳年上になる。
 彼女は、甫純の後妻に入ったといわれている。
 桂川家は、江戸幕府の六代将軍・徳川家宣以来、歴代将軍の御典医を勤め、
 オランダ流医術にもとづく「桂川流外科」と称された医家の名門である。
 悌子の夫の桂川甫純は、この桂川家の分家筋の人である。
 父の甫真も幕府の典医師を勤めたが、その子の甫純も医術を習得し、
 明治維新後は父子で東京・浅草三筋町に居を構えて医業にたずさわり、
 明治八年に定められた医術開業試験規定によって医師の免許を取得した。
 明治十一年に浅草三筋町の家が火災に遭い、
 一家は東京・北豊島郡金杉に移った。
 上田敏が母親とともに奇遇したのが、この家である。
 その後、甫純は、明治十四年ころに東京・深川大工町に医院を開業するが、
 父の甫真が亡くなったあとの明治三十五年ころに
 東京・浅草象潟町(現在の台東区浅草四丁目)に桂川病院を経営する。
 しかし、晩年は持病のために病院を閉じて東京・小石川区雑司が谷に隠居し、
 大正三年に六十八歳で死去した。
 一説によると、浅草の桂川病院は破産のために廃院となり、
 桂川家の家計も逼迫して甫純は恵まれない晩年を過ごしたともいわれている。
 甫純が没したとき、妻の悌子は五十九歳だったが、
 二人のあいだに男二人、女四人の子供をもうけている。
 悌子は、昭和十四年(一九三九)一月七日に没した。
 享年八十五である。
 五人の女子留学生のなかではもっとも長命であった。
 (寺沢龍『明治の女子留学生』平凡社新書、2009年)

安藤優一郎『大奥の女たちの明治維新』では、桂川家とはいえ分家だからか、
今泉みねと上田悌子の数奇な巡り合わせについては、触れていません。
今泉みねは安政2(1855)年生まれ、上田悌子も同年の誕生ではないかとされる。
長命の2人は、明治維新から大正、昭和までの歴史を見守ったわけです。
ちなみに、今泉みねとみねの子、今泉源吉はクリスチャンになる。
2017
06.04

『漱石の思い出』

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夏目鏡子述/松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)、読了。
没後100年、ドラマ「夏目漱石の妻」の放送をきっかけに、手に取ってみました。
ドラマで語り手となっていた、鏡子の従妹である房子についての記述も。

 私の母の妹の子で、つまり私たちの従妹にあたるお房さんというのが、
 小さいうちに家が零落して、
 親子とも私の父がめんどうをみておりましたのですが、そのうちに叔母は死に、
 兄は奉公に出て、そのお房さん一人が私の母のもとにおりました。
 ちょうど私のところでは子供がたくさんあって、
 いつも人手が足りない一方なので、
 その後ずっと手伝いに来てもらっておりました。
 年ごろになったし、良縁があったらどこか片づけたいといってるところへ、
 折りよく名古屋の親類のものが、
 自分の下に使ってる建築の技師かでいい人があるからと口をきいてくれたので、
 本人にきいてみたら行こうといい、先方でももらおうというわけで、
 見合いもせずに、手っ取り早く話がきまって、
 ともかく式はお婿さんのほうが名古屋から出て来て、
 日比谷の大神宮であげるということになりました。

ドラマでは、夏目家の子どもの面倒を見つつ、行儀見習いをしているだけで、
房子のこういった不遇さは、特別、触れられていなかったような。
いくら当時とはいえ、お見合いもせず、挙式の際にはじめて夫に会う結婚とは。
早く結婚してしまいたい、と考えたのでしょうか。
「名古屋の親類」とは、鏡子の妹と結婚した、建築家の鈴木禎次でしょう。
自分のお下がりを手直ししたり、買ってやったりして、鏡子が嫁入り支度を整えた。

 夏目と私とが親代わりで、お嫁さんについて日比谷の大神宮へまいります。
 お互い嫁方も婿方も知らない顔どうしなので、
 夏目が鬼が出るか蛇が出るかなどと興がって冗談いっておりましたが、
 ともかくその場は納まって、その夜新郎新婦相たずさえて名古屋へ下りました。
 けれども半年ばかり後で、
 どういうわけでしたか不縁になって夫婦わかれをしてしまいました。

挙式まで顔も見たことのなかった夫とは、僅か半年ほどで離縁となってしまった。
ドラマでは、お嫁入り支度をしていたところで終わっていましたが……。

余談
「ひよっこ」、豊子の反乱はよかったなあ。
「しゃべりたいんだよ。嫌だって、しゃべりたいんだよ。
誰にがはわかんねけど、しゃべりたいんだよ」
誰にぶつけていいかもわからない「なして」、誰がわるいわけでもない倒産。
成績は一番、優等生できた豊子が、馬鹿でもいいから起こした、小さな反乱。
いつも、いつも「大丈夫」と言って、乙女たちを信じ、励ます愛子。
婚約者を亡くし、いま職場もなくそうとしている愛子は、
つらいこと、悲しいことがあるたびに、「大丈夫」って頑張ってきたのだ。
乙女たちの後ろ姿に、黙って一礼する松下さん……。
「豊子の小さな反乱は、時間にしたら、ほんの何分かのことで、
歴史に残るようなことではないのかもしれないけど、
確かに、今、ここで起きた事件です。
私の歴史年表では、とっても大きな出来事になると思います」
「お父さん、お父さんへの心の手紙では、
どうしても私の近くにいる人の話になってしまうけど、
ここには、大勢の乙女たちがいました。
みんなそれぞれに、私とおんなじように物語があります。
何だかそれってすごいなあ、と思います。
そんな物語がものすっごくたくさんあるのが、東京なのかなって思いました」
2017
05.31

“共感”できなくてもいい

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私は、番組を残念ながら見ていないのですが、記事によれば、興味深い。
稲垣吾郎さんが司会の読書バラエティー、「ゴロウ・デラックス」に、
5月19日、お笑い芸人で作家のピース・又吉直樹さんがゲスト出演をしたそう。
又吉直樹さんは、『劇場』(新潮社)を刊行したばかり。
そちらもまだ読んでいませんが、以下の番組内容が気になりました。

 そして稲垣さんは「こんなにも主人公のことを嫌いになったり、
 好きになる小説ってあまりない。
 これも又吉さんの仕掛けなのかな」と感想を述べる。
 稲垣さんが感じたように『劇場』の主人公の永田はいわばダメ男。
 収入の少ない永田は、沙希の部屋に転がり込み光熱費も払わない。
 劇団の脚本でも評価が上がらず、ヒモ同然の暮らしを送る永田。
 その焦りからか他の劇団や友人に対しても嫉妬が募り、
 沙希や周囲の人にあたってしまうことも。
 稲垣さんは「ずっと主人公のことを好きじゃなくてもいいんですよね」
 と主人公の言動に振り回されたと語りながらも、又吉さんの試みを評価した。
 それを受け又吉さんは「共感されにくい人物を描きたかった」
 と主人公に込めた意図を語りだした。
 又吉さんは、ある作品に対する評価として
 “共感できた”イコール“面白い”とされることが多い
 と世間の傾向を推測してみせる。
 しかし又吉さんはそこに疑問を感じ
 「実は共感できなくても何かしら感じるものがあるんじゃないか、
 その辺を描いてみた」と人物造形に込めた思惑を明かした。
 (「Book Bang」Book Bang編集部、2017年5月20日)

これは、小説だけでなく、ドラマや映画を見る場合にも、当然同じこと。
不倫ドラマに対して、ヒロインの人物造型にバッシングめいた反応があったり。
最近、小説を読んだり、ドラマを見たり、古典文学を読むときでさえ、
道徳や倫理で良し悪しを判断し、拒絶しているケースを見かけます。
でも、ストーリーは道徳教材ではありません。
ストーリーには、テーマや主題があり、伝えたいことがある。
登場人物は、品行方正な人ばかりであるはずはないし、失敗もまちがいもする。
「共感」できれば、感情移入して、より楽しめるのも事実でしょう。
でも、又吉直樹さんが言うように、「共感」だけが評価基準ではない。
「“共感できた”イコール“面白い”」という考え方に、捉われすぎているのでは?
又吉直樹さんは書き手として問題提起されましたが、読み手の問題でもあります。
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