2017
07.22

「先般物故セラレタ新島八重子刀自」

Category: 八重さん
春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌』(昭和7(1932)年)、当時の校長、
鈴木博也の「式辭」に、「新島八重子」の名前が見えます。

 式辭

 本校創立六十周年記念式ヲ擧行スルニ當リマシテ畏クモ
 久邇宮殿下ノ台臨ヲ仰ギ奉リ閣下各位
 多數貴賓ノ御來臨ヲ辱ウシマシタコトハ本校無上ノ光榮トシテ
 感銘措ク能ハザル所デアリマス
 顧レバ本校ガ我ガ邦高等女學校ノ嚆矢トシテ
 土手町丸太町下ル九條家河原邸ニ創設セラレマシタノハ
 明治五年四月十日デアリマス
 之ヲ太陽曆ニ換算スレバ五月二十日ニ當リマスガ故ニ
 本來ナレバ同日ヲ以テ此ノ式ヲ擧ゲル筈デアリマシタガ
 昨秋日支間ノ問題ガ紛糾シテ居リマシタ爲
 時局ニ顧テ今日迄延期シタ次第デアリマス
 本校ハ開設ノ當初新英學校及女紅場ト稱ヘマシテ
 在京都華士族ノ子女ニ英語ト手藝等ヲ授ケタモノデアリマス
 當時ノ敎師ノ中ニハ若州小濱ノ志士梅田雲濱先生ノ夫人並ニ息女ヤ
 先般物故セラレタ新島八重子刀自等が居ラレマシタ
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

創立60周年の式典が挙行されたのは、昭和7(1932)年7月20日。
新島八重が天に召されたのは、その直前、6月14日でした。
86歳、天寿を全うしたと言えますが、存命ならば、式典の来賓だったでしょうか。

余談
「ひよっこ」、みね子の恋は、漫画家さんたちの願うシンデレラストーリーになるか。
あら、シンデレラにかけて、邦子のバーは「月時計」で、時計がいっぱい?
みね子が由香に聞いたのは、島谷のお父さんが優しそうだったか。
ストーリーの鍵は父親、島谷くんと(単なるお金持ちではない)父とのこれからは。
「今どきさ、恋愛をね、自由にできない、
親の決めた通りにしなきゃいけないみたいなことがさ、嫌いなの、許せないの。
なんで親とか家のために、子どもが我慢しなきゃいけないのよ。
おかしいでしょ、そんなの、だからさ。
あんたに、そういうことに負けてほしくないからよ、頑張ってほしいからよ。
だって、おかしいでしょ、明治や大正じゃあるまいし、
庶民がね、そうやって理不尽なことをね、
我慢して受け入れちゃうから、社会は変わらないのよ」
みね子も、島谷も、役者のように別人にはなれない。
みね子がなりたいのは、島谷くんの縁談相手のお嬢さまみたいな境遇。
「お金持ぢのお嬢さんがいいな。そんでね、親の決めた結婚相手がいんの。
でも、その人はすんごいすてきな人なの。
実は、昔っから、すてきな人だなって思ってたの」
「茨城の田舎娘だね」
あれ、島谷くんは左利き、卒業論文が仕上がって猶予はない。
物語の始まりから、みね子が大人になることがテーマ、失恋も通過儀礼なのか?
朝ドラの定義を破ってきた「ひよっこ」、最後まで相手役がいなかったりも?
2017
07.07

「良妻賢母」主義を発展させる

Category: 八重さん
春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌』(昭和7(1932)年)には、
京都府立第一高等女学校の創立60周年の記念式典で、
河合やゑ、甫守ふみ、井上秀が講演を行ったことが記録されています。

 講演會概状

 二十一日午後一時から講堂に於て記念講演會が開催せられた。
 講師は本校出身の先輩甫守ふみ女史、井上秀子女史、河井やゑ女史で、
 甫守女史は明治十六年本科卒業、
 長年東京女子高等師範學校の教授を務めて居られた女子敎育界の元老、
 井上女史は明治二十六年の本科卒業生で
 現在日本女子大學長として聲名かくれなき敎育家、
 河井女史は明治三十二年本科を卒業せられ
 現在は大阪市聯合婦人會理事長として關西婦人界に活躍して居られる
 いづれも本校の誇とする大先輩の方々である。
 甫守、井上兩女史は東京から河井女史は大阪から御多忙の折からを
 この講演會のため喜んでお話を承諾して下さつたのである。

ああ、甫守ふみは、東京女子高等師範学校の教員で、山川二葉とも関わり、
河井やゑは婦人参政権運動にも加わっていく、女性史に名を残した人物でした。
井上秀は、3人のうち、最後に登壇しました。

 最後に井上女史は「母校六十周年記念に際して」との題で、
 女史の貴い半生の體驗から話をひろめて眞の女性の道は決して
 婦人の權利擴張にのみ存するものでなく
 むしろ保守的と云はれてゐる「良妻賢母」主義をよりよく發展せしめるにある
 卽ち良き妻であり信頼されるに足るよき母であるためにこそ
 女子の學問も修養も權利の獲得も意義あるのであつて
 そこに日本女性のゆくべき目標はおのづから關明せられ、
 時代の進化に伴ふ向上の路を見出す事が出來るのであると
 聽く者一人々々の心に深く喰ひ入る様に熱誠こめて話された。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

日本ではじめて設立された女子大学校に、第1期生として学んだ井上秀。
その井上秀が説いているのが、「良妻賢母」ということに違和感も覚えますが、
ただし、それを発展させると言ってもいます。
むやみに権利を求めるばかりでなく、地固めをせよ、とも聞こえます。

余談
NHK総合「ブランケット・キャッツ」、BSの「猫歩き」と同じ時間なのが困る。
西島秀俊さんの亡くなった妻、しかも猫好きって、石田ゆり子さんの影が……。
いや、酒井美紀さんは、「白線流し」からのファンですが。
今日の第3話は、私にとっては何かリアリティがあって悲しかった。
どの猫も手放さない展開なのかなと思ったら、チャイがお嫁に。
「ひよっこ」、茨城に帰る人を見送る、みね子。
いつかみね子は、茨城に戻るお父さんを見送るのだろうか。
宗男おじさん、今度はローリングストーンズが喧嘩を売っているように感じる。
ビートルズに感謝を伝え、今度はもう対等にローリングストーンズと向き合う。
ビートルズの曲が流れなかったのは、宗男おじさんも武道館に入らず、
その歌声を聞いたわけではなく、それでも記念すべきことだったからでは。
みね子や鈴子たちも、ビートルズなんて知らない、聞いたこともない。
それでも、あの喧騒が記憶に残り、あの日をお赤飯の匂いとともに思い出す。
2017
07.06

「良妻賢母になれ」

Category: 八重さん
春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌』(昭和7(1932)年)には、
京都府立第一高等女学校の創立60周年の記念式典で講演を行った、
日本女子大学校学長の井上秀の、その講演の内容についても載っています。
井上秀自身も、おそらくは講演内容を寄稿しているのですが、
本科5年、野田多鶴子「講演會を聽く」が参考になります。
記念祝賀第2日目が講演会で、いずれも卒業生の3人が登壇しました。
河合やゑ、甫守ふみ、井上秀で、3人ともに「大體良妻賢母になれといふ事」。

 最後の井上秀子女史は眞黑の帽子に、眞黑の洋服を着てゐられた。
 それが板についてゐて、もう四十くらゐにも見えるのに、
 どうしてあんなによく似合ふのかと感心してゐたら、
 後のお話で長い間アメリカにいらつしやつたとの事だつた。
 そのお話しぶりは穏かで、始終にこにこしていらつしやつたので、
 女史などゝ云ふよりはやさしいお姉様といふ感じがした。
 この三人の方を見て、今まで私が想像してゐたヒステリカルな、
 角々した、けばけばしい女史といふものが
 實際とは髄分違つたものであつたと云ふ事を知つた。

先輩であるという親しさもあり、いわゆる「女史」などと呼ばれる女性たちが、
当初イメージしていたような人物でなく、「やさしいお姉様」であったことを知った。
さらに、3人が実年齢よりも若々しく見えるのは、「理智の美しさ」ゆえとする。

 最後の井上先生の「母校創立六十周年の記念に際して」といふお話は、
 先生の學生時代の御奮闘に就いてのお話と
 近代的の良妻賢母になれといふお話だつた。
 近代的の良妻賢母であるためには、今までの學問を應用するのは勿論、
 なほ常に勉強して新しい事を知る必要がある。
 子供から「お父さんは話せるが、お母さんは全然話せない」
 などと云はれる様では賢母であると云ひ得ないし、夫の仕事を理解し、
 家庭を改善して行けない様な者は良妻であると云ひ得ないと云はれた。
 さうだ、その通りだ、私は此のお話によつて、私が今まで
 ぼんやりと「さうではないか」と思つてゐた事をはつきりさせる事が出來た。
 そして女の學問は決して無駄なものではなく、
 井上先生の様に、女子大學の學長であり、
 又家庭のいいお母さんである事も出來ないことはないのだから、
 女の學問といふものは、
 その學問によつて合理化した家庭を、立派に處理しながら、
 女にふさはしい職業をやつて行く事を理想とするものだと思つた。
 そして私の今持つてゐる希望に向つて、
 井上先生のなさつた程の努力は出來なくても、その半分でも、
 三分の一でもする事が私の進むべき最もいい道であると思つた。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

講演会は、「熱狂的な拍手」によって終わった、とあります。
この「野田多鶴子」にとって、井上秀の講演内容は意義深く、刺激的でした。
単なる「良妻賢母」というわけでもなく、井上秀が理想とし、
「野田多鶴子」があこがれたのは、学問を修め、家庭と仕事を両立させること。
学問によって家庭を「合理化」させる、とは家政科らしい考え。
学問で家庭を「合理化」した上で、職業も持つ。
「良妻賢母」と言ってしまえば、古めかしいイメージですが、
いや、ここで理想とされているのは、現在とそう異なってはいないような気もします。

余談
いや、今日の「ひよっこ」、とてもよかった。
南海キャンディーズのしずちゃん演じる滋子、愛があふれていました。
優しい、いい人ばかりが出てくるのに、みんながそれぞれに傷を抱えている。
でも、周囲の優しい人たちの愛で、それを乗り越えて行く。
2017
07.05

『鴨沂會々員名簿』

Category: 八重さん
さて、手許には、『鴨沂會誌』第73号附録であったらしい、
『鴨沂會々員名簿』(昭和8(1933)年12月)があり、ざっと確認。


「舊職員」には、新島八重は見えず、跡見玉枝や江角ヤスが名を連ねます。
江角ヤスはまだ純心女子学園の創立前で、フランスに渡航中でした。

 東京市外澁谷町大山一七  跡見玉枝子君
 在佛國  江角ヤス子君

卒業生の中には、日本女子大学校に進学した、井上秀、大岡蔦枝、
また、広岡浅子の娘、広岡亀子についても掲載されています。

 (東京府)明二六 本 市内高田巣鴨台地王五五三ノ二  井上秀子
 (東京府)明三三 本 市内小石川區日本女子大學校内  大岡つた枝
 (兵庫縣)半退 武庫郡本山村字森  廣岡かめ

広岡亀子は「半退」となっていて、卒業はしていないのでしょうか。
広岡亀子は、関西大源流の私塾である泊園書院に学んだとされますが、
京都の女学校を卒業前に実家に戻り、そこに入った、ということかもしれません。

余談
「ひよっこ」、そうか、島谷が受け取っていた手紙の中にビートルズのチケットが。
慶応生のお坊ちゃん、彼は今後、どうなっていくのだろう。
宗男おじさんは、笑って彼を見逃してくれた英兵のように、女の子にチケットを?
みね子を好きな島谷が迷ったチケットでは、ダメなのかな。
実がいないことに馴れてはだめだ、と滋子。
宗男が戦争から戻ったことに、滋子も感謝している。
「帰ってくる」ことが、このドラマでは重要なのだ。
鈴子も省吾も、愛子も、戦争の傷跡を抱えて生きていて、若者はそれを知る。
2017
07.04

土倉麻の「オリンピツク出場記」

Category: 八重さん
手許にある、春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌』(昭和7(1932)年)。
本誌の巻末は、『鴨沂會雑誌』第71号となっていますが、
高等学校2年生の土倉麻「オリンピツク出場記」が掲載されています。
大洋丸で出港する際には、涙があふれたといいます。
「どうぞ御心配下さいますな、きつと一生懸命ベストを盡して参りますから」。
しかし、船の中では、当然のことながら練習もままならず、苦労した。
入場式における行進の練習をしたり、ハワイに着く直前には海が荒れ、船酔いも。
7月15日、サンフランシスコに立ち寄り、第一高女の卒業生の訪問を受けて感動。
7月30日、いよいよロサンゼルス五輪が開幕した。

 ロスアンゼルスよ!……オリンピアードよ!と叫ばれて來た、
 一九三二年の世界最大の行事……
 第十回オリンピツク大會の華やかな、そして壯嚴な入場式!
 参加三十八ヶ國の人々が、色とりどりの制服に身を固め
 大スタディアルに堂々と練込んで行くのである、
 私達はイタリヤの次に續いて陸上主將の織田選手の捧げ持つ
 秩父宮殿下から御下賜になつた大日章旗を先頭に、粛々と歩を運んでゐた、
 日本人であると云ふ誇りに満ちながら……。
 式はオリンピック塔委員會總裁の挨拶に續いて、
 副大統領の短い印象的な開會の辭、選手代表の宣誓等があつて、
 芽出度く終りを告げた。
 靑空高く突き出たオリンピック塔の上に、選手達の意氣を唆る様に、
 炎々と燃えさかる聖火の煙、平和を表徴する何千羽數知れぬ放鳩の飛びかひ、
 純白に装つた大合唱團の嚴なコーラスの響、總べてが
 第十回オリンピックの記念すべき第一日としてふさはしいものであつた。

現地で歓迎を受けたり、開会式で平和の祭典の意義を感じたり、
土倉麻のオリンピック体験が、瑞々しく表現されています。

 大會中、私共女子陸上部はベストにベストを盡したとは云へ、
 眞保さんの三點と、リレーに於て
 漸く二點を得られたと云ふ淋しい結果で終つてしまつた
 せめて一本でも日章旗があげられたら……。
 しかしこれは、最近の世界の女子スポーツ界が
 想像以上長足の進歩を遂げてゐた事と、何と云つてもまだまだ
 身體の劣つてゐる事が原因の主力ものだつたと思ふ。
 もつともつと私達は立派な身體にならなければならないのだ。
 自分の出た競技についても、今考へると限りない未練を感じられるけれど、
 ベストを盡し得た事がせめてもの慰めである。
 男子の方も豫期に反し振はなかつたと云ふけれど、
 三段飛で南部さんが世界記録を破つて大日章旗をあげられ、
 西田さん、大島さんが棒高飛三段飛に各二等、
 三等で日の丸をあげて下さつた事、
 百米で吉岡さんが初めて入賞なさつた事等は、
 今更言ふ迄もなく日本の競技史を永久に飾るものであると思ふ。
 何時かは陸上も水上の様に世界を征服する時があらう。
 (『鴨沂會雑誌』第71号、昭和7(1932)年12月、春錦會・鴨沂會)

土倉麻、400メートルリレーで5位入賞は、立派な成績ではないでしょうか。
この結果を、新島八重が聞くことはありませんでしたが……。

余談
「ひよっこ」、宗男おじさんが抱えていた、戦争中の記憶。
イギリスは、インパール作戦の相手国。
宗男おじさんも、すずふり亭の省吾も、戦争、軍隊でつらい体験をした。
出くわした英兵は、笑って、宗男おじさんを見逃してくれて、助かった生命。
だから、笑って生きる、生きていることをビートルズに叫びたい。
みね子は、また、大人になった。
ひったくりに棒で殴られた実も、戦争体験を思い出したのか(加害者だったり)。
いや、これらは、暴力が人の心を傷つけることの実例かな。
それにしても、頭痛が治らない……。
代表を続ければ、それはそれで、また批判されたでしょう。
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