2011
07.31

『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』

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とても感銘を受けたのは、六草いちか『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』(2011年、講談社)。
ドイツ在住のライター・六草いちかさんが、ついに、エリスのモデルを探し当てた!
まるでミステリー小説を読むようなスリルとともに、著者の愛情を感じる一冊。
単なる興味本位でも、ましてや、功名心からでもなく、六草いちかさんは、
「エリーゼ」に共感し、寄り添い、問いかけながら、真実に近づいたのです。
一つひとつ覆していくことになる先行研究に対しては、謙虚に敬意をはらいながら。
調査の過程で出会う人々の言葉にも、素直に耳を傾ける姿勢がいい。
著者のそのような、そして懸命で真摯な態度、「エリーゼ」への愛情が導いていく。

鴎外の恋 舞姫エリスの真実鴎外の恋 舞姫エリスの真実
(2011/03/09)
六草 いちか

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著者は「教会簿」の記録を手がかりに、まず、「エリーゼ」の両親の結婚記録を発見。
ドイツの教会公文書館で、ついに「エリーゼ」と思われる女性の洗礼や堅信礼の記録まで。
シュチェチン(現・ポーランド)の聖マリア教会の教会簿として保存されていた、
「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」の記録。
母親の故郷であるシェチェンで、1866年9月15日に誕生し、鴎外に出会ったときは20歳。
来日したとき、英字紙に掲載された乗船名簿にあった、「エリーゼ・ヴィーゲルト」に一致。
小説『舞姫』で、エリスの母が「ステッチン(=シュチェチン)わたりの農家に、
遠き縁者あるに、身を寄せん」と言ったという記述にも、符合する。
さらに、住所帳から、1898年から1904年まで、この「エリーゼ・ヴィーゲルト」が、
帽子製作者としてベルリンに住んでいたことも確認された。
鴎外の妹である小金井喜美子が、鴎外から聞いたとして記していた、
「エリーゼ」が「帰って帽子会社の意匠部に勤める約束をして来たといって居た」とも合う。
偶然が偶然を呼び、著者の行動力・調査力があって、もたらされた真実です。
草稿での描写と酷似する、主人公とエリスが出会う教会のモデル、ガルニゾン教会も発見。
「モデル論争は決着するのではないか」(山崎一穎氏/2011年3月10日「中日新聞」)。

 それは細い糸が指先に触れて、それが時おり銀色に透けて美しいものだから
 知らず知らずにうちに手繰り寄せようとするような、そんな感覚だった。
 エリーゼがその糸を垂らしているのだと、そんな気さえすることがあった。
 (中略)
 他人から「路頭の花」扱いをされることや、
 「人の言葉の真偽を知るだけの常識にも欠けている、哀れな女」と蔑まれること、
 それがどれだけの痛みを伴うものかと考えるようになっていた。
 エリーゼの正体を見つけることによって、彼女に掛けられた不当な嫌疑を
 晴らしてあげられるのではないかという思いを抱くようになっていた。
 もしかするとエリーゼもそれを望んでいるのではないかと思うこともあった。
 (六草いちか『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』2011年、講談社)

「もし私がエリーゼだったら、私は今、どこにいる?」と想像したら住所録が見つかり、
「ねえ、こうして探されるの……いや?」と話しかけたら、洗礼記録が出てくる。
これはもう、単なる好奇心からでは成し遂げられなかったように思う。

安心したのは、帰国した「エリーゼ」が帽子制作者として生計を立てていたこと。
帰国後、「エリーゼ」は、鴎外の結婚を知ることになったでしょう。
長い間にわたって文通だけは続いていたようだけれど、どのような内容が交わされたのか。
それはもはや知ることができないが、「エリーゼ」が器用な手先を生かして、
しっかりと自立した人生を歩んでいてくれたことがうれしかった。

鴎外と「エリーゼ」、いえ、エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトの恋が、
125年の時を超えて、ここに成就したような、そんな気持ちがします。
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