2015
03.31

佐久の語った「新島夫人が前夫を助け」る話

Category: 八重さん
八重の母・山本佐久は、明治11(1878)年から明治16(1883)年の間、
同志社女学校の寄宿舎で、舎監をつとめました。
佐久が女学生から慕われていた様子が、卒業生の回想録からも伝わります。

 山本覚馬翁の母堂  田中米
 山本覚馬翁の母堂〔佐久〕、即ち新島先生令夫人の母君に当らせられます。
 土曜日には芋や柿等を携へて諸所の山々へ遊びましたが、当時、
 恰度今日謂う舎監の様な事をして居られました
 御祖母さん(生徒は皆斯う呼んで居りました)は、
 前の晩に孫達の弁当を作って下さいました。
 御弁当と申しましても、只今の学生が持って行く様な御馳走ではありません。
 梅干や味噌漬を握飯に添へて呉れました。
 朝早く打連れて吉田山等に出掛ける所を、二階の欄干に寄って、
 孫達が勇み喜んで門から出て行くのを涙を流して見送って居られる其御様子が、
 今も猶眼の前に見える様で御座います。
 私共は真の血をわけた御祖母様の様に、
 お祖母さんお祖母さんと申し上げては遊び戯れて可愛がって戴きました。

 山本の御祖母さん  高畑菊
 山本覚馬氏、新島夫人の母堂は女学部の二階に住まれて生徒監督、
 賄方の指図等をして居られました。
 私共はお祖母さんと遊ぶ事が一番の楽しみで、暇さへあれバ
 会津戦争の御話をお祖母さんのお膝の周囲に集って聞くのを悦びました。
 新島夫人が前夫を助けて会津落城の際に雄々しくも白鉢巻に白襷、
 薙刀脇に掻い込んで駿馬に鞭打って敵軍に進まれた様子は、
 何時も小さい胸中に美しく描かれ、籠城の兵士に握飯与へ様と持ち行く際、
 敵弾一発あはや勇士の妻は斃れたと思ったのに、
 神の加護にか夫人は微傷だに無く飯のみが黒焦げになったと云ふ様なお話は、
 恰度三つ四つの頃母の懐に抱かれて桃太郎、
 かちかち山の御話を何遍となく聞いた様に幾度も繰り返し、
 お祖母さんから聞くのを無上の楽しみにして居りました。
 又お祖母さんからは弁当を作って戴いて、
 二人乗の車に合乗して生徒全体で春は嵐山、秋は高尾に、
 桜、紅葉を見に行きました。
 (同志社社史資料室編『創設期の同志社』同朋舎、1986年)

遠足に出かける「孫」たちを見送るのに、涙まで流していた、とはどういうことか。
そして、注目されるのは、高畑菊が書いている「会津戦争の御話」。
女学生たちは、佐久の昔話を聞くのが楽しみだったといい、
佐久は、八重の武勇伝も臨場感たっぷりに語っていたようです。
「新島夫人が前夫を助けて」とあり、八重が再婚であることも隠してはいなかった。
話題の中心は、女学生たちもよく知っている八重の雄姿だったでしょうが、
その中で、「前夫」=歴史の闇にひっそりと消えた川崎尚之助は、どう語られたのか。

なお、内田政の回想録では、女学校では「女らしい科目」がなく、
「最初少しばかり新島先生の夫人が、礼法を一寸の間教へられました」と見えます。
八重が小笠原礼法を教えたのはごく短期間だった、とわかります。

余談
国別対抗戦、日本の代表は、無良崇人、羽生結弦、村上佳菜子、宮原知子、
古賀亜美&フランシス・ブドローオデ、キャシーリード&クリスリード。
高橋成美&木原龍一が、ペア解消を発表。
ブログによれば、数週間前、木原龍一から申し出たこと。
世界選手権が最後の試合になる、とわかっていての出場だった。
ペア競技の熟成には時間がかかる、これからもっと、と期待していた矢先の決意。
経験の浅い木原龍一は、高橋成美の負担になりたくないと考えたのかな。
スケート連盟の関係者も、理由はわからないとしています。
ともに今後もペア競技を続け、お互いに新しいペアを見つけるとのこと。
周囲からは見えないこともあるでしょう、今後のご活躍を祈りたいと思います。
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