2016
01.31

政子のために照る満月

Category: 八重さん
明治23(1890)年6月1日、土倉政子は横浜港から渡米しました。
5月11日にモリス夫人に出会い、留学の機会を得てから、僅か3週間後のこと。

 妾等五月卅一日ヲ出帆ノ日ト心得シモ、其日ハ風波穏カナラザリシ為、
 六月一日ヲ以テ出港ノ日ト定メラレタリ。
 故ニ時刻ヲ計リ、野毛ノ館ヲ後ニシ、最モ可愛ラシキ滝子女ニ別ヲ告ケ、
 オシヤニック号ニ乗リケリ。
 父上・母上・原ノ兄姉君・デントン師ノ誰彼忝クモ不肖女ヲ見送リ玉ヒシ、
 相別ルヽ時ノ胸中コソ誰カ推シ量ル可シ。
 無惨ナル乎哉、無情ナル乎哉、
 小蒸気船ハ妾等ノ意中ヲ知ラザルモノヽ如ク、急クガ如ク、
 黒煙ヲ空天ニ吹キ上ケツヽ岡ヲ指シテ進ミケリ。
 然シテ船中ヨリ尚別ヲ惜マレシ方々ノ
 白色ノハンケチサヘ次第ニ海鳥ノ羽ヲタヽミシ如ク、小ク動ズナリテ、
 終ニ船体サヘ見ヘズナリケリ。
 「嗚呼、父上様ヤ母上様、姉君ヤ皆々ノ衆ヨ、
 妾ノ再ビ此懐シキ岸ニ近ツクヲ御気長ク壮健ニ末頼母敷見テ待玉ヘヨヤ」
 ト意中ニ彼方ヲ見ヤリテ念ジツヽ、是ヲ思ヒ彼ヲ思ヒシ折コソ、
 セツナクテ瀑ナス涙殆ンド止ムル能ハザリキ。

両親、姉夫妻、ミス・デントンらに見送られ、船上の人となった政子。
涙ながらに、日本を離れます。
見送る人々が懸命に振り続ける白いハンカチも、しだいに遠ざかっていく。
「御気長ク壮健ニ末頼母敷見テ待玉ヘヨヤ」
見送られる政子も、見送る人々も、相当な覚悟で別れたはずです。

 ガンガント如何ニモ音調ナラザル船上ノ鐘、早ヤ夕飯ヲ報セリ。
 故ニ支度ソコソコ船中ノ事ナレバニヤ、皆ノ衆旅着ノマヽ、
 或ハ帽ヲ戴キシマヽ食ニ付キ居レリ、
 妾モ暫時食堂ニ止リシ後、再ビ甲板ニ上リ来レリ。
 眼ヲ放テ遥ニ彼方ヲ見渡セバ、
 向ニ去ル年父上・母上・兄姉ノ君等ト諸共ニ愉快ヲ極メシ
 本牧ノ別荘微ニ夕暮ノ光ニ照サレテ、過ル昔ヲゾ思出サシム。
 尚仰テ空ヲ眺ムレバ、皎々タル満月サエ渡リ、
 旅立妾等ノ為、天ニ掛ゲラレタル提灯ノ如ク見ヘケリ。
 (『内田康哉関係資料集成 第1巻 資料編1』柏書房、2012年)

早速に夕食の時間となったものの、食事後はまた甲板に戻り、
遥か彼方には、懐かしい思い出の残る「本牧ノ別荘」が見えた、という。
土倉家の別荘か、原六郎の別荘か。
涙をこらえるように空を眺めると、満月が冴えわたっていた。
その光はまるで、旅立つ政子のために「天ニ掛ゲラレタル提灯」のよう。
政子、なかなか文才があるように思われます。

余談
「あさが来た」の亀助が、ふゆのために匂い袋を縫っていたのに続き、
「真田丸」でも、小山田茂誠が匂い袋を。
2016年2月1日22:00~22:54、BSーTBS「にっぽん!歴史鑑定」は、
「広岡浅子の生涯~びっくりぽんの社交術~」。
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