2016
10.31

杉田久女「白妙の菊の枕をぬひ上げし」

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杉田久女、彼女の俳句にも、彼女の人生にも興味が沸きます。

 杉田久女「白妙の菊の枕をぬひ上げし」

 女性俳句の先駆けとなった九州・小倉の俳人、杉田久女は
 「ホトトギス」主宰の師、高浜虚子の長寿を願い、
 菊の花びらを詰めた菊枕を贈った。
 外出するたびに白菊を摘み、家で新聞紙の上に広げて干し、
 1か月余り菊の中での起き伏しを楽しむのだという。
 1932年(昭和7年)、41歳で主宰誌「花衣」を創刊。
 <白妙の菊の枕をぬひ上げし>など風雅な菊枕の句を発表した。
 菊枕を受け取った虚子は、
 「丁度高さもよろしく又柔らかさもよろしく」と記した礼状を書き、
 <初夢の間に合ひにける菊枕>という句を贈っている。
 しかし、良好だったはずの師弟関係は、やがて破綻する。
 久女は36年10月、理由を明らかにされないまま
 「ホトトギス」の同人を除名され、失意の底に落とされるのである。
 天賦の才と情熱がありながら、生前は句集を出すことがかなわなかった。
 波乱に富んだ生涯から死後、興味本位の風聞「久女伝説」が広がった。
 今年は久女が俳句を始めて100年、没後70年に当たる。
 次兄から俳句の手ほどきを受けたのは、次女を出産した26歳の年だった。
 その2年半後に、代表句となる句を作る。
 <花衣ぬぐやまつはる紐ひもいろいろ>。
 花見から戻って着物を脱ぐときの気持ちを表現し、
 虚子は「男子の模倣を許さぬ特別の位置」と評価した。
 俳句に熱中するあまり家庭不和も生じた。
 <足袋たびつぐやノラともならず教師妻>。
 芸術家になることを期待していた夫は中学の図画教師を続けていた。
 <谺して山ほととぎすほしいまま>。
 スケールの大きい句は、
 大分県との県境にある霊山・英彦山に繰り返し登って得た。
 俳人で東洋大名誉教授の坂本宮尾さん(71)は、
 「句の格調が高い。情感も豊かで、暮らしや生き方が浮かび上がってくる」と、
 久女の作品の魅力を語る。
 40年近く暮らした北九州市では今、顕彰活動が盛んに行われている。
 句集出版を悲願とした久女は、
 「百年後に知己を見出します」という言葉を残した。
 珠玉の作品は久女の心の叫びでもある。
 (2016年10月17日「読売新聞」電子版)

2016年は、杉田久女が昭和21(1946)年に亡くなってから70年。
女の生き方は多様化しましたが、まだまだ生きにくい。
代表作「足袋たびつぐやノラともならず教師妻」なんて、過去の句ではない。
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