2017
04.30

明治39年7月1日の毎月会

Category: 広岡浅子
明治39(1909)年7月7日発行の『家庭週報』第67号(桜楓会)には、
7月1日に行われた毎月会について、記事が載っています。
評議員の会議を毎月会と称していたものが、評議員会の発議によって、
女子高等教育に関心のある人々の意見交換の場となった、
新しい毎月会の初回、設立の回が、この日でした。
『家庭週報』の編集人は、広岡浅子がかわいがっていた、小橋三四子です。

 女子高等敎育に對する各家の意見
 日本女子大學校毎月會に於て

 毎月會はこれ迄本校に於て行はれ來りしものなるが、
 今回即ち七月一日は、特に都下の女子教育に關係ある名家を招いて、
 女子高等教育に就き意見を交換したり。
 毎月會の性質、及び由來は、次項成瀬校長の談話中に詳しければ、
 此處に再びせず。
 また當日の模様、及び來會者氏名等は別項所載に譲り、
 左に當日の談話の大略を順次掲げて、大方の参考に供せんとす。
 (在文書記者)

この日の毎月会の出席者は、以下のように記録されています。

 〇七月一日の會合
 我が日本女子大學校評議員間に組織さるゝ毎月會の發起により
 在京教育家、各女學校長諸氏三十余名、
 七月一日午前九時より日本女子大學校豊明館棲上に會して、
 女子高等教育の方針に就て、意見を交換し、
 一致協力以て其の進歩發達の淵源たらん事を期せられたり。
 當日参會されたる諸氏は左の如し。(順序不同)
 日本女子大學校長成瀬仁蔵 同學監麻生正藏 
 西園寺公爵 大隈伯爵 岡部子爵 
 久保田譲 兒島惟謙 森村市左衛門 村井吉兵衛
 女子高等師範學校主事篠田利英
 東京府立第一高等女學校長伊藤貞勝
 同第二高等女學校長林吾一
 明治女學校學監福迫亀太郎
 日本女學校學監山根勇蔵
 香蘭女學校長長橋政太郎
 女子高等實修女學校山脇房子 同舎監久芳周子
 日本橋女學校長中正尾子
 女子英學熟(ママ)長津田梅子
 成女學校學監嘉悦孝子
 實踐女學校副校長靑木文蔵
 東京女學舘長西田敬止
 三輪田女學校教頭三輪田元道
 高等師範學校長嘉納治五郎
 高等師範學校教授下田次郎
 早稲田大學學監高田早苗
 慶應大學長鎌田榮吉
 帝國大學教授文博士井上哲二郎 同元良勇次郎
 同松本亦太郎 同理學博士長井長義
 湯本武比古 戸川安宅 
 文部省視學官中川謙二郎
 文部省普通學務局長心得野尻精一
 総理大臣秘書官山下芳太郎
 横井時雄 大岡育造諸氏なりき。
 (『家庭週報』第67号、桜楓会、明治39(1909)年7月7日)

津田梅子の名前は見えますが、広岡浅子は出席していませんでした。
山脇房子、嘉悦孝子、三輪田元道、横井時雄など、気になる人物もいます。
ここに名前がありませんが、成瀬仁蔵の談話によれば、
文部大臣の牧野伸顕も、出席していたようです。
津田梅子も、立ち上がって発言をしたと記録があります。
嘉納治五郎が、「其の性質によつて發達させて行かねばなりません。
故に高尚な學問をしたいと云ふ女子には、
其の道を塞がないと云ふ事は大切であるが最高等の敎育に就ては、
敢へて奨励すべきでなからうと思ふ」と述べたのに対して、
津田梅子は、「奨励」の説明を求めて、「女子に高等敎育を授くるに當り、
無理に引き上ぐるの必要はなきも、少しの後と押しは欲しきものなり」と述べた。
個人の特性にしたがって、無理に高等教育を与える必要はない。
けれども、「後と押し」はしてあげなければならない。
つまり、最初から個人の特性を決めつけ、高等教育の機会を奪ってはいけない。
女子がチャンスを失うことがなきよう、「後と押し」がほしい、と言うのです。
これはまた、当時の女子の置かれた状況を察した発言だろう、と思われます。
さらには、大隈重信は、成瀬仁蔵は女子の大学校を創設したが、
それも「定論」ではなく、西洋では「男女混淆敎育」であると問題提起しています。 
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