2017
06.30

『京都府立第一高女と鴨沂高校』

Category: 八重さん
京都府立鴨沂高校は、日本で最初の公立女学校が前身という伝統校ながら、
これまで、沿革史はまとめられていませんでした。
この度、元校長の拝師暢彦さんが、独自に刊行されたのは嬉しい限り。

 145年、一冊に 公立女学校時代から10年かけ歴史調査
 元校長の拝師さん出版/京都

 府立鴨沂高(京都市上京区)の校長だった拝師暢彦さん(71)=中京区=が、
 「京都府立第一高女と鴨沂高校」を自費出版した。
 国内最初の公立女学校としてスタートした鴨沂高の歴史や、
 所蔵する美術品を収蔵するまでの経緯、
 校内で語られる言葉にまつわるエピソードなどを、
 在任中の思い出と共に振り返っている。
 拝師さんは元々、理科の教員で、
 2001年4月~04年3月に鴨沂高の校長を務めた。
 長い歴史があるにもかかわらずまとまった資料や沿革史はなかったため、
 歴代の校長が記した文書や、昭和時代の在校生が発行した
 「鴨沂新聞」などを手がかりに、10年がかりで調査した。
 例えば、学年集会や新入生オリエンテーションでよく語られる「鴨沂の自由」。
 初めて聞いた時は「何のことかいな」と首をかしげたという。
 しかし、1959年の鴨沂新聞で「鴨沂の自由を認識しよう」と題する論説を発見。
 「自治の精神が失せると民主主義は成り立たない」
 と自主性を訴える内容だったことがわかった。
 拝師さんは「鴨沂の伝統や歴史を知り、
 在校生や卒業生が学校への誇りを持ってくれればいい」と期待する。
 藤井直校長(59)は「学校に関するさまざまなことが紹介されていて、
 校長の引き継ぎにも役立ちそう」と話している。
 同校によると、鴨沂高の前身は、
 1872年に旧九条殿河原町邸に創立された「新英学校及び女紅場」。
 1923年に「府立京都第一高等女学校」、
 48年には現在の「府立鴨沂高校」になった。
 女優の森光子さん、歌手の沢田研二さんが在学したことでも知られる。
 (2017年2月27日「毎日新聞」地方版)

記事には見えませんが、言うまでもなく、前身の女紅場には、新島八重が勤務。
本書を確認したところ、次のように触れられています。

 当時の職員名簿に、山本やへ(明治5年4月25日~8年11月17日、
 権舎長兼教導試補)や、片山智妙院、梅田雲浜妻千代、娘ぬい、三井高福、
 蘆澤鳴尾等々の名前が見えます。

また、女紅場と茶道の関わりは、このように書かれています。

 「茶室」の項に記された「千宗左」とは、表千家12代家元で、
 明治11年(1878)1月12日から同20年4月30日まで
 嘱託として食禮(行儀作法)を教授されています。
 その後、食禮は千玄室(裏千家13代家元)に引き継がれ
 (明治22年5月から同31年4月30日まで)、
 さらに明治42年(1909)5月17日から大正13年(1924)8月5日まで、
 千宗室(裏千家14代家元)によって茶儀が教授されています。
 茶室は、昭和11年(1936)年に千宗室の寄付により改修されました。
 そして終戦。
 学制改革で「府一」から「鴨沂」と変わっても、茶室は生徒の心の拠り所でした。
 (拝師暢彦『京都府立第一高女と鴨沂高校』京都新聞出版センター、2017年)

本書は、貴重な沿革史であろうと思います。
しかし、ここはやはり、学校としても詳細な沿革史をまとめる必要があり、
女子教育の歴史、公立教育の歴史を記録する意味においても求められるはず。

余談
「ひよっこ」、宗男おじさんにとっては、ビートルズに会うことは、
傷跡を残した、あの戦争を終わらせることなのか。
「世界を変える」「ロックンロール」、ドラマ「奇跡の人」を思い出す造型でした。
back-to-top