井上秀、東京進学を希望していた

井上秀は、京都府立第一高等女学校に在学中から、東京進学を願っていた。

 當時自分の郷里には弟が居ましたので、更に高等の學校へ進みたいと思ひ、
 東京の學校へ行くことを河原校長先生
 (原田先生より河原校長先生に代られた所でした)に御相談しました。
 父母の不服は先生から話してやると云はれて
 私は明治女學校に行かうとしてゐましたが、
 遂に先生から奬められて女子高等師範に入る準備をしました。
 然るに其頃私の弟がチブスで亡くなりましたので、
 父は最早私を一歩も外に出ることを許しませず、
 一家を相續しなくてはならなくなりまして遂に養子も定められました。
 が其人が勉強の爲東京に出ましたので
 私は再び京都に遊學の希望を全うすることが出來ました。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

そうか、井上秀は当初、明治女學校に進みたいと考えており、
先生と相談したところ、東京女子師範学校に入学するべく準備していた。
弟の死がなければ、井上秀は、東京女子師範学校に入っていたかもしれない。
そして、婿養子になった夫に東京行きの機会がなかったら、
井上秀も、京都に戻って学業を続けることも難しかったでしょう。
そのどれもが巡り合わせ、運命だったのだろう、と思います。

余談
「ひよっこ」、あの女優さんが奥茨城の方言を気にしていたのは、
もしかして、記憶喪失の実の面倒を見ている?
バーの店主の邦子が方言を研究していることと、いつか関わる?

Tag:女子教育 

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