2017
07.16

井上秀、禅を学ぶ

Category: 女子教育
井上秀、日本女子大學校に入るより前、禅に夢中になっていました。
京都府立第一高等女学校の創立60周年の記念講演でも、それを語っています。

 其頃宗敎問題が起つて來まして、
 卽ち私はある儒者につき孟子を研究してゐましたが、其内に
 「孟子曰く浩然の氣を養ふ。浩然の事とは至大至剛なり」といふ
 その講釋が腑に落ちず、先生の許に行き、私は自分自ら浩然の氣を養ひたい。
 自分がその人になりたいと考へて
 「如何にして浩然の氣を養ふことが出來ますか。その道を敎へて下さい」
 と先生にお願ひ致しましたが先生は「それは困る。講釋出來ぬ」と云はれ、
 そんな事では學問をしても役に立たぬと思ひ、
 それより其時京都の丸太町に鈴木無隱居士といふ方が居られ、
 その人の所に行き今のお話をしますと「それでは私が手引する」と云はれた。
 此方は儒者であるが禪學をして居られた方で、
 遂に天龍寺の峨山老師に私を紹介下され、連れられて参りますと
 「考案を與へるからそれを解け」と云はれ、私は勉強しました。
 一生懸命です
 二十歳前後の勇氣は大したものです。
 其時は單純なる頭である爲一生懸命勉強しました。
 初は京都より参禪しましたが通ひでは追付かないので
 天龍寺より五六町行つた尼寺に止宿し勉強しました。
 父に告げると叱られるので廣岡様に居ることゝし、
 そこに入つて一心に工夫をしましたがなかなか徹底せず
 遂に天龍寺の禪堂の傍にあつた廃寺に獨りで入つて
 其考案を解くべく一生懸命勉強しました。
 今日京都の有名な臨濟宗本山の管長方方が當時雲水でありました。
 何でも六十人ばかりも若い修業中の御坊さんが居られた。
 その中で私は綠中紅一點でありました。
 私の友が今一人來られ紅二點となりました。
 私は単刀直入で行きましたので案外早く考案に通り
 大變な喜を得て前に會得の出來なかつた事はほんとうに氷解が出來
 所謂手の舞ひ足の踏む所を知らずといふ有様でした。
 (春錦會・鴨沂會『創立六十周年記念誌(昭和7(1932)年)

ここにも「廣岡様」、広岡浅子のもとに身を寄せている、と実家には偽りつつ、
井上秀は、天龍寺の「峨山老師」のところに通って勉強していたとか。
この縁により、「峨山老師」の弟子にあたる、間宮英宗老師が、
後に日本女子大学で時折、早朝に禅の話をし、軽井沢でも講話をしたらしい。
そういえば、平塚らいてうも、一時期は禅に取り組んでいたのだったか。
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