2017
07.28

「いいこと聞かしてあげましよう」

Category: 広岡浅子
井上秀に運命の人がいるとすれば、それは、広岡浅子だったはずです。

 天がこのすばらしい女性に大任を持つて来たことが
 今こそはつきりと分るのであります。
 浅子夫人はお嬢さんの通つている大阪の梅花女学校の先生の紹介で
 成瀬仁蔵先生に逢われたのであります。
 その時、成瀬先生はアメリカからの帰朝早早御
 自分の「女子教育」に関する新思潮を公表する
 「女子教育」と題する著書を夫人におくりました。
 夫人は九州の炭坑へ行かれる途中くりかえし三回も通読し、
 この人は今迄自分が逢うた人々とは大分違つたところがある。
 この人は全く助けるに足る人だと考えられ、帰阪後、度々面会を重ねて、
 この計画を賛助する旨の約束をされ、
 女子大学設立の発起人の一人として立ち、土倉庄三郎氏を始め、
 著名な北畠(?)児島唯謙氏、鴻池氏、住友氏等の富家に紹介の労を執られ、
 伊藤修、蜂須賀、大隈侯、三井家、岩崎家等をも勧誘され、
 着々、女子大学創立の議が進められてゆきました。

広岡浅子が成瀬仁蔵を知ったのは、「梅花女学校の先生の紹介」とあります。
梅花女学校は土佐堀にあり、それは充分に考えられますが、
ただ、「お嬢さんの通つている」というのが不明。
土倉庄三郎の娘は梅花女学校にはじめ通い、同志社女学校に編入しており、
その土倉庄三郎による紹介であった、とされているのですが、
井上秀は、何か記憶ちがいをしていたのでしょうか。
(広岡家の亀子以外の娘が、梅花女学校に通っていた可能性はあるか。)
日本最初の女子大学校の設立は、天が広岡浅子に授けた「大任」だと言います。

 丁度、私が広岡家に逗留していた時、広岡亀子さんが私に申しました。
 「井上さん、いいこと聞かしてあげましよう。
 日本に女子の大学が出来るのよ。よくいらつしゃる成瀬先生ね。
 あの方が校長さんで、私とこの父母や、三井さんや、
 渋沢さんや、有力な方々が御夫妻で賛成して、
 いよいよ、東京の目白で、第一期が始まります。
 今、生徒さんがないでしよう。
 母が、私と井上さんとそろえて入学させたがつていますわ」
 これを聞いて、私は心の底から喜悦が湧き上りました。
 「女子の大学」それこそ実に待つていたものであつたからです。
 (『井上秀先生』桜楓会出版・編集部、1973年)

日本女子大学校は目白にできる、そこまで決まった段階で知ったのか。
広岡浅子は、目をかけていた井上秀だけではなく、
実の娘の亀子も、「生徒さんがない」女子大学校に入れようとしていたらしい。
そして、井上秀自身も「女子の大学」の設立を待っていたのでした。

余談
「ひよっこ」、「お父さん、帰ってきましたよ」、実が戻ったら、みね子は何て言う?
(愛子とか嫁入り前の高子とか、川本世津子も、独身で1人で働く女かな。)
時子からも報告、ドラマに小さな役で出演決定。
茨城のなまりのある役(また、なまり)、失敗が次につながることもある。
前に早苗が言ったように、人生の決着はすぐにはつかない。
生コマーシャルのギャラは2500円、みね子のお小遣いの2ヶ月分。
みね子のアパートに川本世津子、自宅に来てほしいと言う。
「会ってほしい人がいるの、あなたに」
華やかな世界にいながら孤独な川本世津子にとって、あの人は大事な人に?
「お母さん、きっと明るくて優しい人なんだろうね」
「父がいつか帰ってくるって、信じてるんです、母は」
破局するとき、別人にはなれないと嘆いた、みね子だけど、実は……。
鈴子は、戦争で失ったものを取り戻すために働いたと言っていたけど、
谷田部家は、記憶を失った実を迎え、2年半を取り戻さなければならない。
同時に、川本世津子は、大事な人を失う。
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