2017
08.06

井上秀、寮監に選ばれる

Category: 広岡浅子
日本女子大学校の教育方法は、自学、自修、そして、自治。
その自治の教育的実践として、成瀬仁蔵が重視したのが、寄宿舎でした。
井上秀は、自身も1回生でありつつ、寄宿舎の寮監の役も担います。

 私は家政科に入学して生徒ではあつたが、
 開校当時寮監の職をも命ぜられた。
 在学三年、あらゆる機会で、先生からこのお教えをうけ
 寮生活では自働自治による生活法を始め、何事も実験的態度を以て、
 寮舎生活の基準となるものを自ら創設しました。
 又この原則を学生の生活にも及し自治生活を始めました。
 而して教師も生徒も互に胸襟をひらいて研究し合うという
 真摯な日々をつづけたのでありました。
 五十余年をへた今日でも日本女子大には、自治生活と云う事が、
 学生の日常生活を律する道で、それが自然に修養の道場となって居りますが、
 五十年間年々繰り返し、年と共に改善し、その組織も今日では複雑となり
 学生生活の全部を学生自ら統制する自治の体制を作り上げて居ります。
 (『井上秀先生』桜楓会出版・編集部、1973年)

すでに26歳の年長になっていた井上秀を、成瀬仁蔵も頼みにしていたのでしょう。
日本女子大学校が開校した当初から、「三棟八寮の寮舎」が建てられ、
女子高等教育機関の創設を待ち望み、地方から入学した女学生を受け入れた。
成瀬仁蔵が理想としたのは、寄宿舎の「家族的」なあり方。
それぞれ自治を任された各寮において、寮監は重要な立場です。
井上秀を含め、寮監をつとめたのは次の人々でした。

 穂積銀子(三寮) 玉木直(三寮) 平野濱子(四寮) 
 井上秀(一寮) 丹下花(一寮) 丹下梅(八寮) 
 石原咲(五寮) 佐野篤(六寮) 岩井信(七寮)
 (日本女子大学校編『日本女子大学校四十年史』日本女子大学校、1942年)

井上秀(一寮)とあるのは、二寮(のちの敷島寮)の誤りかもしれません。
井上秀のほか、丹下花、丹下梅、玉木直は学生でもありました。
彼女たち、寮監は、成瀬仁蔵自身が選んだのだとか。
http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-4224.html

メモ
追分宿郷土館にて、企画展「村岡花子と軽井沢」(2017年7月22日~10月29日)。
http://www.toyoeiwa.ac.jp/2017/07/post-104.html
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