2017
08.07

寄宿舎の自治生活法

Category: 広岡浅子
井上秀は、「大略の自伝」の中でも、寄宿舎に関して詳しく書いています。

 三棟八寮の寮舎に灯がともり、
 中から明るい話声や笑声のひびくのをきいた時、
 成瀬先生は、きつとうれしくお思いになつたと想像します。
 先生は渡米中、米人牧師レヴィットという方のところで止宿されました。
 その時レヴィット夫人がいつも家庭の中心となつて和気藹々の生活がつづき、
 外国から行つたものも淋しくなく心温まつた体験から
 「これだ!」と理想的寄宿舎の構想が生れたとうかがいました。
 
渡米して女子教育を研究していた成瀬仁蔵の、寄宿したレヴィット夫人の家で、
いかにも家庭的な、温かい雰囲気に和み、助けられた経験から、
日本女子大学校においても、自治の実践として、寄宿舎生活を重視したのです。

 日本女子大学の、寮の自治生活法はだんだん世に知られるようになりました。
 「各寮に一名の寮監と約二十名乃至三十名位
 (大寮は六、七十名)の学生と二名の女中から成る一家族の形成で、
 大体は寮規に従うが細かい所では各寮が自由に規則を定め、
 一種の寮風をつくる。
 各寮に於ける学生の構成は学部学科を超越して縦に横に、
 色々と入り交つている。
 そのため長短相補つた生活が出来る。」(略)
 (『井上秀先生』桜楓会出版・編集部、1973年)

それぞれの寮には、井上秀や玉木直などの寮監が1名ずつ配された。
各寮では、寮規に従いながらも、自由な規則を定めて、「寮風」をつくった。
八つの寮では、したがって、寮ごとに規則もちがい、雰囲気もちがう。
成瀬仁蔵の教育理念の1つである「自治」の、実践でした。
そこではやはり、寮監の果たす役割が大きかったのではないでしょうか。
平塚らいてうは、最初は通学生でしたが、途中から寄宿舎に入っています。
なぜなら、「寮に入らないと本当の校風が分からない」からでした。
平塚らいてうの入った寮の寮監は平野濱、大岡蔦枝も補佐役だったとか。
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余談
合戦だけが歴史を作ったのではないし、それを今年の大河ドラマは描いている。
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