2017
08.12

「あなたは家政学部に入学をなさい」

Category: 広岡浅子
井上秀にも、ほかの女学生と同様に「功名心」があったかもしれません。
英文科を志望していた井上秀が、家政科に入学したのは、
難しい入試を断念したからではなくて、成瀬仁蔵に勧められたからでした。

 成瀬校長は、英文学部志望の私に次のように云はれました。
 『井上さん。あなたは家政学部に入学をなさい。
 国文学部や英文学部は誰でも入る。
 人が目をつけない家政学部こそ、あなたが入るべき学部ですぞ。
 今でこそ、人が重きを置かないが、この家政学部こそ、
 我が日本社会には必要な学問で、
 将来、この日本女子大学の中心となる学部なんだ。
 あなたは、この学部で、一生懸命、勉学してほしいんです』
 又、先生は私を教えられました。
 『今、本校えは、好奇心にかられ、功名心にもえて
 入学しているものが相当あるらしいが、長続きするもんぢゃない。
 人間がもつとも、真実になつた姿は、名を求めないその姿だ。
 あなたも、名を出すというような事のために、
 勉強したらいかん、いいか、分りましたか』
 古くから、頂門の一針という詞がありますが、それと同じ訓示でした。
 そこで、かつて嵯山和尚について禅を学んだ心境も手伝ったのでしょう。
 一本調子の性質であるにもかかわらず唯々諾々で、
 校長の御希望通りの私の道を私は黙々と歩いたのでした。
 既律を回顧いたしますと、それでよかつたと思いあたる事ばかりです。
 (『井上秀先生』桜楓会出版・編集部、1973年)

成瀬仁蔵は、井上秀の中に、何か資質を見出していたのでしょうか。
家事ではなくサイエンス、といった新しい学問として、家政科に期待していた。
その言葉に素直に従えたのは、すでに絶大な信頼があったのでしょう。
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