大岡蔦枝、桜井女塾や女子英学塾で学ぶ

以前にも当ブログで書いていますが、大岡昇平の叔母の大岡蔦枝は、
先輩の井上秀に導かれて、日本女子大学校に入学しました。
京都府立第一高等女学校を卒業後、補習科で学んでいた大岡蔦枝は、
日本女子大学校に入ることを前提に、井上秀に上京を勧められ、
明治33(1900)年8月31日、弟に伴われて、東京の成瀬仁蔵宅に向かいます。

 実は、私は女子大へ入学するについては、
 井上秀子姉に京都府立高女時代からお世話になっていたのでありまして、
 その関係で成瀬先生にも私の高女時代にも
 二、三度お目にかかったこともあります。
 高女卒業後、同校の補修科で勉学を続けていましたところ、
 京都にいるよりも上京して、東京で女子大入学前から
 見聞を広くするようにとの井上姉のお勧めにより、
 明治三十三年八月三十一日、丁度女子大創立より八カ月前に弟と同道
 上京致し、新橋駅で井上姉に迎えられ、成瀬先生のお宅へ伺いました。
 成瀬先生は、小石川表町一〇八番地におすまいでしたが、
 先生のお宅で七、八日間お世話になり、その後井上姉のお世話で、
 クリスト教的な桜井ちか子先生の塾長であられた
 本郷弥生町三番地にあった桜井女塾で、
 五カ月余りクリスト教的空気の内で教養されました。
 そして、午前中は麹町にある女子英学塾に参り、英語を学んでおりました。
 これが私の初めてのクリスト教的教育を味わった経験でありました。
 (中略)
 桜井女塾を出てから、井上姉の学ばれておった宣教師(英国婦人)の主である
 寮で二、三カ月お世話になりなど致しておりました。
 これが始めて外国婦人に接した経験でありました。
 とにかく、上京後東京の女学生風俗も大分解り、
 又クリスト教の事も少しは教育された事は、
 京都にいるより確かに有効でありました。
 当時迄は、私は学校以外の所で教養されることは、
 余り有効であるよう感じていませんでしたが、この半年余りの間は、
 学校外でも教養されるものであることを知る機会となったことであります。
 (大岡蔦枝『成瀬仁蔵先生』三月書房/古川志都子、1966年)

上京後は、ミス・カーの英語塾で勉強する井上秀や広岡亀子とちがい、
大岡蔦枝は、井上秀の紹介で桜井女塾に入った、といいます。
桜井女塾は、女子学院の元校長の桜井ちかの塾。
午前中は、創立されたばかりの女子英学塾で英語を学んだとは、
津田梅子やアリス・ベーコンとも、面識があったかもしれないのかしら。
成瀬仁蔵としては、大岡蔦枝にもキリスト教的な雰囲気を体験させたかったのか。
桜井女塾を出てからは、井上秀のいるミス・カーの学校の寮に移ったとか。

余談
(おめでたい会見から想起されたのは、夏目漱石と平塚らいてう。)

Tag:広岡浅子 

四季の花時計
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
プロフィール

もも

Author:もも

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
最近のコメント
最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索