雛田千尋も寮監だった

『女子高等教育における学寮 日本女子大学 学寮の100年』を入手。
新潟女学校時代の成瀬仁蔵の教え子であり、中退後、
東京女子高等師範学校を卒業し、大阪で教えていた雛田千尋も、
日本女子大学附属高等女学校で教えるようになったのと、おそらく同時に、
日本女子大学の寮監になっていたことが、わかりました。

 開寮初年度の三棟八寮の寮監は、
 一寮の寮監が寮生の井上秀(家政一回生)・丹下花(国文一回生)、
 二寮が井上の兼務、三寮が寮生の玉木直(家政一)と
 児島惟謙の紹介による穂積銀(女子高等師範学校)、
 四寮が巌本善治の紹介による平野浜(フェリス女学院)、五寮が石原咲、
 六寮が佐野篤、七寮が岩井信(英文一)、八寮が丹下ウメ(家政一)であった。
 一九〇二(明治三五)年に富士寮へ杉田すが(同志社女学校)、
 翌〇三年には責善寮へ雛田千尋(梅花女学校)らが招聘された。
 他の女学校出身者が、寮監を勤めたのは、
 各女学校の長所を採り入れ、理想の寮を作り上げるためである。
 また、その女学校からの入学者を確保するためであったとも考えられる。
 招聘された寮監のほとんどが本学の高等女学校の教員との兼務であり、
 後に大学の教員になった者もいる。
 (『日本女子大学叢書4 女子高等教育における学寮』ドメス出版、2007年)

雛田千尋は、明治36(1903)年になってから招聘された、というわけです。
日本女子大学の開校から2年後、ということになります。
梅花女学校から移動、となっていますが、その点はまだ不明です。
大阪高等女学校、堂島女学校の教員だった、とされます。
(梅花女学校の生徒は、無試験で日本女子大学校に入学できたとか。)
また、その前年から寮監となった杉田すがは、同志社女学校の舎監でした。
元良(杉田)勇二郎の母で、同志社女学校で舎監をしていたのは、
明治16(1883)年から明治18(1885)年で、すでに経験者であったわけです。

余談
「黒革の手帖」も残り1回、結婚と妊娠を発表しての放送でしたが、
武井咲さん、クランクアップと同時に、10月クールのドラマのポスター撮りも。
ローヒールだったから、すでに妊娠がわかってからの撮影かな?
でも、まだドラマの関係者にも打ち明ける前だったのか、
走ったり、非常階段を降りたり、階段から転げ落ちたりして驚きました。
どのような撮影をしたのかはわかりませんが、彼女の覚悟を感じました。
妊娠がなくても、転げ落ちるのはさすがにスタント?
コウノトリのご機嫌は、理屈だけではどうにもなりません。

Tag:広岡浅子 

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