「広岡家に残る只一人の桜楓会員」

広岡郁子は、井上秀が敬愛する広岡浅子の姪であり、日本女子大学校に入る。
大阪の広岡家に滞在する井上秀に、幼い頃からかわいがられました。

 この驚き何にたとえん朝刊に 師の君の訃知る今朝の悲しみ

『桜楓新報』第145号(昭和38(1963)年9月)に、広岡郁子の追悼文。
こちらは、その冒頭に置かれた、短歌です。
日本女子大学校入学が許されたのも、井上秀への信頼も理由だったとか。

 私の女学校時代、先生は女子大の寮監もかねていらっしゃいました。
 私は闘志を燃やし、勿論伯母からのすすめも御座いましたので
 女子大入学の事を両親に申しました処、反対するかと思いの外、
 父も母も成瀬さんや井上さんが居られる学校ならよかろうと、
 意外に速やかに許されました。
 平素から成瀬先生を尊敬し、又井上先生を深く信頼して居りましたから
 両親は行くなら是非お秀さんの寮にと申しました。
 
広岡郁子も家政科に入学しましたが、井上秀が寮監の曙寮に入ったのは、
加島屋の本家第10代の父、広岡久衛門正秋(創立発起人)や、 
母の夏子(桜楓会補助団員)の意向もあったようです。

 井上先生同様一人っ子の私が闘志を燃やし、
 又東京迄出てしかも女子最高の学府に入学勉強の出来ましたのも
 全く両先生のおかげ
 特に井上先生が其時寮監をしていらした事を忘れてはなりません。
 私は曙寮に入りましてからは凡てを先生に御相談し、
 家の事情をよく御承知ですから何事につけ未知の私にとりましては
 暗夜に灯を点じられた思いで御座いました。
 今一つ先生に対し、最後の思い出となりました事は
 昨年母校評議委員会後桜楓館階下に参り、先生はとても懐かしそうにされ、
 暫く休みましょうと申され、それから色々の昔話に、
 二人共全く今昔の感じに堪えない状態となり、先生は改まって私に、
 「あなたは広岡家に残る只一人の桜楓会員です。
 今後の責任は内外とも実に重大、しっかりやって下さいよ。
 私はこれから家に帰りますから一緒に車で小池さん迄送ってあげます」
 と仰言って駒込の娘の家迄お送り下さいました。
 下車する時あの熱のこもったお手で堅く握手されました。
 思えばそれが個人的に先生と親しくお話を致しました最後です。
 (『井上秀先生』桜楓会出版・編集部、1973年)

広岡郁子は、卒業後、桜楓会選出の評議員にもなり、長女・次女も入学。
ここに、広岡浅子に薫陶を受けた井上秀の最後の発言として、
「あなたは広岡家に残る只一人の桜楓会員です」とあるのは、重く感じます。
「小池さん」とは、広岡郁子の娘の千鶴子のことでしょう。
小池正直男爵の孫、小池正宣と結婚しました。
千鶴子の舅にあたる小池正彪は、三井銀行に入り、三井本社の常務理事に。

Tag:広岡浅子 

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