2016
04.04

広岡浅子の姪・郁子

Category: 広岡浅子
『日本女子大学学園事典』(ドメス出版、2001年)には、広岡郁子も立項。
広岡郁子は、広岡久右衛門正秋の娘で、浅子の姪にあたります。

 広岡郁子 ひろおか いくこ
 1889-1974(明治22.11.6-昭和49.12.6)
 大阪の豪商加島屋の本家第10代広岡久衛門正秋(本学創立発起人)・
 夏子(桜楓会補助団員)の一人娘として大阪西区土佐堀に生まれる。
 広岡信五郎(本学創立発起人、創立委員)・
 浅子(創立発起人、評議員)夫妻の姪にあたる。
 幼い頃、隣接する広岡浅子宅で家族同様に過ごす井上秀と
 一緒に遊び可愛がられる。
 数年後、成瀬仁蔵が本学創設のために
 広岡浅子宅をたびたび訪問し、あるいは長期滞在して、
 広岡浅子と共に関西で大学設立運動をするのを間近に見る。
 1908年、本校附属高等女学校に編入学し、井上秀が寮監の曙寮に入る。
 13年、家政学部卒業。
 結婚し2男2女の母。
 40年より桜楓会選出の評議員となり、桜楓会大阪支部の発展にも尽力。
 長女・次女も本学の卒業生。
 (『日本女子大学学園事典 創立100年の軌跡』ドメス出版、2001年)

明治41(1908)年、日本女子大学校附属の高等女学校に編入学した郁子は、
「あさが来た」では、亀助・ふゆ夫妻の娘、ナツの(かすかな)モデル?
この郁子も、御殿場二の岡の夏の講習会に参加していたとか。
郁子は、大同生命の第3代社長となる、正直を婿に迎えて結婚しました。
初代社長は正秋、2代目社長は(一柳)恵三、
4代目を継いだのは、信五郎の息子・松三郎(妻は澤田貞子)でした。

余談
165年前の今日、嘉永3(1851)年4月4日、日本最初の女医・荻野吟子が誕生。
広岡浅子は嘉永2(1850)年、新島八重は弘化2(1845)年の生まれ。
大正8(1919)年に広岡浅子が亡くなり、その翌年に、
「とと姉ちゃん」のヒロイン・小橋常子のモデル、大橋鎮子が生まれている。
大橋鎮子は、病気のために中退したものの、日本女子大学の家政科で学んだ。
そのときの学長は、「あさが来た」の田村宜のモデル・井上秀であった。
大橋鎮子が創刊した『暮らしの手帖』には、平塚らいてう、村岡花子も寄稿。
朝ドラのヒロインは、走り、登る。
少女漫画でも、いがらしゆみこ『キャンディ・キャンディ』のキャンディも、
大和和紀『はいからさんが通る』の紅緒、『ヨコハマ物語』の万里子もそうだった。
落ちそうになったり、降りられなくなったりしたヒロインを、ヒーローが助ける。
「とと姉ちゃん」は、「あさが来た」では描かなかった「暮らし」を描くのかな。
和歌山の有田蜜柑ではなく、遠州蜜柑。
萬屋さん、長生きして出世して……ではなく、西洋紡専務の大迫。
「とと姉ちゃん」は、ゆるりと見ていきたいと思います。
常子の生涯を通じて大きな存在になるであろう、「とと」がいい。
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