井上秀が英語を学んだ柴田塾

井上秀が京都府立第一高等女学校に入り、英語の授業に難儀して、
寄宿舎を出て学んだという事情は、次のように詳細にも語られています。

 學校内の限定された勉強の方法に從ふてゐたのでは
 これはなかなか追ひつけさうもない、
 一つ思ひ切つてリーダーの一からやり直すのでなくては駄目だと、
 そこまで自分の足りなさが分ると却つて非常な勢ひが出て、
 保証人の今井先生のお父さんの御諒解を得、校外に出て、
 つい一丁程の距離の、
 東三本木といふところの路地にある靜かな家の間借りをし、
 河原町二條にある柴田といふ塾に、學校の放課後毎日通ひまして、
 同志社からそこへ敎へに見える北里先生に就き、
 リーダーの一から勉強いたしました。
 これが私の勉強らしい勉強のはじめ、全くこゝでは一生懸命でございました。
 (『井上秀先生』桜楓会出版・編集部、1973年)

柴田という英語塾は、先生1人に生徒は1人の個人レッスン方式。
同志社から教えにきた「北里」とは、男性か女性かも不明で、わかりません。
井上秀がこの女学校を目指した契機にもなった、「今井先生」。
間借りをしたのは、「東三本木といふところの路地にある靜かな家」でした。
この家は、「賴三樹さんのお家」であったようです。
老婦人と娘さんがお住まいであった、とも書かれています。
老婦人は、「もと宮中へお仕えしていたという」とあり、信用のできるお宅。
そして、親友であったという「土肥田京子」と禅の修業をし、
洋館で広岡家の令嬢を預かった、というのも、「京都市三本木町」とか。
その「土肥田京子」は、京都女子手芸学校の教員となったと考えられますが、
その京都女子手芸学校の理事として、「頼龍三」の名が見えます。
ここにも、詳細はよくわからないのですが、どうやらつながりがありそう。

余談
あまりに無気力で、やるべきこともできていない。
おまけに、こんな状態では見たくないので、「ひよっこ」も見ていない。
ただ、みね子は、お城(マンション)からお姫さま(世津子)を救いだした。
王子さまにあこがれ、救い出される側の、
「かわいそうな女の子」では完璧になくなったのだ、と思う。
このブログは、ためてあった記事もあり、惰性もあり、何とか更新。

Tag:広岡浅子 

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