『六花落々』

さて、西條奈加『六花落々(りっかふるふる)』(祥伝社文庫、2017年)を読了。
久々に読んだ時代小説を堪能、ぜひドラマ化してほしい秀作です。
雪の殿さまとして知られる、下総古河藩主の土井利位。
雪の欠片を雪華と名づけ、顕微鏡ではじめて観察したのは、この土井利位。
その重臣で、卓越した政治力をもち、蘭学者でもある鷹見忠常。
しかし、本作はあえて、主人公を土井利位の御学問相手の小松尚七とします。

 「いわば国許の民百姓に、もっとも近いところにいた。
 そういう者が傍におれば、おまえを通して民の思いは自ずと殿にも伝わろう。
 下々がまるでわからぬようでは、主君は務まらぬからな
 ……それは、わしにとっても同じこと」
 「わしは遠くばかりに目が行きがちであるからな。
 こうして海の向こうを見ながら、足許がおろそかになれば、
 崖から落ちるやもしれん。 
 おまえが足許に目を配っていてくれるからこそ、
 わしは心ゆくまで遠くを見渡せる……だから尚七、おまえはそのままで良い」

何事にも疑問を抱き、好奇心の強い、「何故なに尚七」の異名をとる小松尚七。
同じように関心をもって、研究しても、鷹見忠常にとっての蘭学は政治のための窓。
ああ、と膝を打ったのは、雪の結晶を多く見られる年は米が不作ということ。
土井利位の『雪華図説』は、大奥からも所望され、雪華は大流行。
天保の大飢饉が起こる中、鷹見忠常は、雪華の紋様を使い、
豪華な黒漆塗りの金蒔絵の印籠や文箱、棗(なつめ)と香合をつくる。
国許では大飢饉にあえいでいるというのに、と小松尚七は反発。
ところが、肥後熊本の細川家、豊前中津の奥平家、京阪の豪商からお救米が。
小松尚七は、鷹見忠常が、無理をして贈り物をした相手先であると気づく。

 忠常は、周到な男だ。
 尚七の嘆願に動かされたわけではなく、最初から見越して、
 蒔絵師に作らせたに違いない。
 飢饉の最中、米は何よりも高くつく。
 まともに贖えば、とんでもない金高になろう。
 --いまこの時こそが、雪華がもっとも高い値を生むときなのだ。
 忠常が言ったのは、このことだった。
 「あの道具が……雪華の紋様の道具が、米になったのか」
 民百姓の汗水を、無駄に費やしている。
 そう思えた雪華が、領民の糧となった。
 涙が、止まらなかった。

この雪華の紋様の印籠が、現在、永青文庫の細川コレクションに所蔵されており、
原羊遊斎(久米次郎)の作品のようで、鷹見忠常が贈ったもの?
この作品には、多くの蘭学者や歴史上の人物が点描されています。
鷹見忠常が蘭学を始めたのは、レザノフ事件があったから。
植物学、化学等を初めて書物にして紹介した宇田川榕菴。
鷹見忠常(泉石)の肖像画を描き、後に非業の死を遂げる渡辺華山。
幕府の天文方の高橋景保、間宮林蔵、シーボルト、大黒屋光太夫などなど……。
そして、土井利位が大阪城代になったため、大塩平八郎の乱を鎮圧。
幕末までにはまだ時間はあるものの、その胎動は確かだった。

 混じりのない純粋な石でしか、砕けぬ楯もある。
 皮肉なことに、大塩が丹精して磨き上げた玉は、乱という鏃に姿を変えて、
 絶対であった徳川という楯に小さなひびを入れた。
 打ち寄せる波が、固い岩を少しずつ削ってゆくように、大塩の乱は、
 この先もくり返し立ち現れて、倒幕と、さらには民主主義の旗印とされる。
 しかしそれを、利位も忠常も尚七も、見ることはない。
 梅雨空にもかかわらず、どこかで揚雲雀が鳴いた。
 世は幕末に向けて、ゆっくりと傾いていた。
 (西條奈加『六花落々』祥伝社文庫、2017年)

古河藩の第4代藩主であった土井利位が亡くなったのは、嘉永元(1848)年。
鷹見忠常は、安政5(1858)年に死去しています。
(『鷹見泉石日記』をはじめとする関係資料は、重要文化財に指定。)
江戸幕府の終焉は慶應3(1868)年、鷹見忠常の死から僅か約10年後のこと。

余談
NHK「未解決事件」、赤報隊事件は過去の出来事と片付けられない、今の恐さ。

Tag:本 

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