お稲=みねの出産と入院

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、敬二=徳冨蘆花は20歳を迎えました。
協志社=同志社に復学した翌年、明治20(1887)年の正月早々、
お稲=みねが出産、男の子を生みます。

 正月早々お稲さんの産があつた。
 生れたのは男兒であつた。
 敬二は荒神口の家に御慶に往つた。
 産があつた家の様ではなく、葬式のあとの様な、
 火の消えた寂寞(さびしさ)が家を領して居る。
 おいよ婆さんがむつかしい顏をして奥から出て來た。
 産後お稲さんの容體が面白くないので、協志社病院で手を盡して居る、
 東京から歸つて來た又雄さんも、叔母さんも病人に附き切りで、
 おいよ婆さんとかあやんとお節ちやんだけ留守をして居る、と云ふのであつた。
 かあやんも默り込んで居る。
 敬二は重い心になつて歸つた。
 『今に見玉へ、屹度死ぬから』と山本君が云ふた。
 『馬鹿な』と敬二は云つたが、異な氣もちがした。
 病院に往つて見ようかと思ひ思ひ、一日二日過ぎた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

お稲=みねは、男の子を生んだものの、肥立ちがわるくて入院したという。
協志社病院=同志社病院に入院したとありますが、実際はこの年の暮れに開院?

 この同志社病院は京都看病婦学校の付属病院で、
 学校と病院の開校・開院は、明治二十年十一月十五日である。
 場所は京都御苑の蛤御門前であった。
 しかし、医師のJ・C・ベリーと、看護婦のリンダ・リチャーズによって、
 J・D・デイヴィス邸で前年の九月から看病婦教育と診療ははじめられていた。
 当時のデイヴィス邸は、やがて開院される同志社病院の北側に位置していた。
 (河野仁昭『蘆花の青春 その京都時代』恒文社、1989年)

すなわち、そのデイヴィス邸で先行して診療を行っていたところに入院したのか。
東京から戻った又雄=横井時雄も、叔母さん=新島八重も付き切り。
敬二=徳冨蘆花も「異な氣もち」がしながら、見舞うことなく日を過ごしてしまう。
それにしても、その「山本くん」は、なぜ不吉なことを言ったのでしょうか。

余談
義理チョコをやめよう、というゴディバの広告。
義理チョコにゴディバを買うケースは少ないだろうから、とも思う。

Tag:山本久栄 

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