「會津に住むお稲さんの實母の實家」

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、お稲=みねの死は、
戊辰戦争を生き抜き、京都に出てきた山下家=山本家にとって、再びの悲劇。

 病院から敬二は荒神口の家に往つた。
 協志社からも追々聞きつけて、能勢家縁故の學生が續々やつて來た。
 病院からも人々が歸つて來た。
 孝明天皇二十一年祭御執行の爲、
 恰も天皇陛下が京都御所に行幸中なので、
 お稲さんの遺骸は夜に入つて病院から窃と連れて來ることにした。
 奥の間では高森さん佐藤さん沈田さん林田さん等の同窓が、
 讃美歌を歌つたり話したりして又雄さんを慰めて居る。
 勝手の報では、會津に住むお稲さんの實母の實家や東京の親戚やら
 伊豫の敎會やらに電報をかけるので、『オイネサンゴビヤウキ』では
 『お稲さん御病氣』と讀まるゝからいけぬと電文の研究をして、
 邦語神學の富岡君留田君四年生の町田君などががやがや言つて居る。
 其處へ奥から又雄さんが出て來て、
 いきなり敬二に此處ゝゝに知らせの手紙を書いてくれと云ふ。
 又雄さんには東京歸り後はじめて會ふのであつたが、
 敬二はあらためて弔詞を述ぶる機會を失ふて、
 云はるゝままに唯手紙を書いた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

能勢家=横井(伊勢)家に駆け付け、讃美歌を歌い、又雄=時雄を慰めた、
高森は金森通倫、沈田は浮田和民でしょう。
あちこちに電報を打つというとき、お稲=みねの実母の実家にも、とあります。
山本みねの実母は上洛しておらず、その後の消息はわかっていません。
この記述が確かな史実であるならば、当時は、実母=樋口うらと連絡がとれた?
「實母の實家」という書き方も気になり、うら以外の親戚を指すのか?
そのあたりの事情は、今ではわからなくなっています。

余談
「家族の旅路 家族を殺された男と殺した男」、2人の赤ちゃんが入れ代わった?

Tag:山本久栄 

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