レビツト嬢の禁酒演説

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、壽代=久栄も異母姉の急死に涙しています。
敬二=徳冨蘆花は、在りし日のお稲=みねの姿を思い出しました。
能勢家=横井(伊勢)家に世話になって久しく、やはり懐かしく慕わしいのでした。

 家族の女達の中に壽代さんの時々手巾を眼にあてる姿も見えた。
 敬二等數人は交代に柩の前に通夜をした。
 昨年の夏敬二が京都に來るとやがて、京都倶樂部で矢部さんの通辯で 
 米國基督教婦人矯風會のレビツト嬢の禁酒演説があつた時、
 汗が流るゝ演説者の背から團扇で始終扇いで居たお稲さんの白い單衣姿や、
 二年前伊豫の二階で、お節ちやんを抱いて、
   When He cometh, when He coneth.
   To make up His jewels.
 と歌ひながら二階の縁をトントンと往つたり來たりした
 お稲さんの聲と足音としきりに思ひ出されて、
 敬二は茫然と白い柩を眺めて居た。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

気になるのは、「昨年の夏」、つまり、明治19(1886)年の夏に、「京都倶樂部」で、
「米國基督教婦人矯風會のレビツト嬢の禁酒演説」があった、という点。
そこで、お稲=みねは、演説する「レビツト嬢」のために団扇で扇いであげたとか。
日本基督教婦人矯風会は、まさにその明治19(1886)年に、
まずは東京婦人矯風会として発足、初代会頭は矢嶋楫子でした。
発起人には、海老名みや、小崎千代といった同志社に関わる名前も見える。
矢嶋楫子は、横井時雄にとっては叔母にあたり、その縁で世話をしたのでしょうか。
「レビツト嬢」とは、世界婦人矯風会の第1回特派員のミセス・レビット。
『日本キリスト教婦人矯風会百年史』(ドメス出版、1986年)の年表によれば、
ミセス・レビットは「東京、神戸、岡山、長崎で矯風演説」とありますが、
お稲=みねも演説を聞いたらしいのは、神戸のことか、それとも京都でも遊説を?

Tag:山本久栄 

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