飯島先生=新島襄の追悼説教

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、お稲=みねの葬儀において、
飯島先生=新島襄が、「葬儀の説敎」をしました。

 讃美、聖書朗讀、祈禱、履歴の朗讀。
 然る後飯島先生は立つて義姪の爲に沈痛な聲で葬儀の説敎をはじめた。
 敬二は去九月の入學以來先生の演説を一度ならず聞いた。
 
飯島先生=新島襄にとって、お稲=みねは義理の姪にあたり、
また、創設期の協志社=同志社の女学校の大事な教え子でもあります。
信頼する能勢又雄=横井(伊勢)時雄に嫁がせ、将来への期待もあったはず。
その説教は、ハアデー氏=アメリカの恩人のハーディー氏の追悼演説とは、
敬二=徳冨蘆花の耳に「別様の印象」があった、といいます。

 今此處に柩の中に横はつて居られる能勢稲子は、
 意志堅剛、丈夫も及ばぬしつかりとした處がありました。
 父君の決斷に苦まれた處も、一言にして斷ぜられた事が屡々ありました。
 病中の苦痛は非常なものでありましたが、
 稲子は非常な忍耐を以て之に當られました。
 醫者が死の宣告を下しますと、稲子は深い悲哀に沈みました。
 愛する良人(をつと)を殘し、四歳の幼女を殘し、
 生れたばかりの赤児を殘して獨り先立つことを悲んだのであります。
 然し稲子は直ぐ決心を致しました。
 而して良人をはじめ周圍の人々に一々懇な告別を致し、
 其平生愛吟した讃美歌第十六番
 『神我城なり、我力なるぞ』を歌ひはじめました。
 周圍の者は皆涙に暮れて、一人も滿足に歌へる者はありませんでした。
 然し稲子は非常の苦痛を忍んで
 終りまで明瞭な聲を以て立派に歌ひ終りました。

この飯島先生=新島襄の説教によれば、お稲=みねは、意志をもった女性。
父君=山本覚馬に対しても、その「決斷に苦まれた處」に助言することも。
余命の宣告も落ち着いた態度で受けとめ、臨終間際には讃美歌を歌う敬虔さ。

 飯島先生の眼にも白い手巾が上つた。
 禮拜堂は森として、女學生の占めて居る西側の腰掛には
 大分泣(なみだ)を啜る音が聞こえた。
 飯島先生は前列に眼を閉ぢて聽いて居る又雄さんに
 其視線と言葉を向け、更に荘重な調子で斯く云つた。

飯島先生=新島襄も涙を流し、女学生たちも泣いている。
説教は、お稲=みねがその傍の墓に入ることになる、
舅(能勢又雄=横井(伊勢)時雄の父)のことにまで、及びます。
熱のこもったその「音調には、千巾の鐵槌を以て打下ろす力があつた」。

 今を去る十八年前、能勢君の父君は此京都で
 刺客の爲に非命の死を遂げられました。
 其時父君が刺客の刃を受けられた短刀は、
 今も能勢君の手に蔵せられて居ります。
 此十八年來能勢君を鼓舞し奮勵(ふんれい)せしめたものは、
 此父君の短刀でありました。
 今や能勢君は志業未だ半(なかば)ならざるに無二の有力なる
 偕老の友を喪はれました。
 今日の君の不幸は、取りも直さず君を勵ます爲に
 天父の與へ玉ふた第二の短刀であります。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

暗殺という悲劇によって実父を失った、又雄=横井(伊勢)時雄は、
今また年若い妻を失って、幼い子どもたちとともに残されてしまったのです。
しかし、能勢家=横井(伊勢)家の悲劇はまだ終わりませんでした。

余談
「わろてんか」、早くもリリコ&四郎、隼也&つばきが再登場(ためが足りない)。

Tag:山本久栄 

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