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叔母=横井津世子が倒れる

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、お稲=みねは産後まもなく急死しましたが、
しかし、能勢家=横井(伊勢)家の悲劇はまだ終わらなかったのでした。

 式は終つた。
 柩は禮拜堂から舁(か)き出された。
 墓地は洛東南禪寺、十五で別れた又雄さんの父君、
 媳(よめ)の顏を識らぬ舅君、赤井沼南先生の墓の傍に埋葬ときまつて居た。
 家族親族の婦人達は皆車に乗つた。
 
能勢家=横井(伊勢)家の悲劇は、赤井沼南=横井小楠の暗殺から始まっていた。
お稲=みねは、南禅寺のその顔も見たこともない舅の墓のそばに葬られました。
南禅寺の頭塔・天授庵墓地は、熊本ゆかりの墓地でした。

 墓地は石川五右衛門が住むだと云ふ山門を入つて南側の天授庵と云ふ
 肥後藩に縁故の深い坊の内にあつた。
 其處には維新に戰死した肥後人の墓も多く、中には敬二の同姓のもあつた。
 其墓の群から少し離れて、樫さし覆ひ羊齒(しだ)垂るゝ崖の露つぽい土に、
 沼南先生の墓は生前面識があつた
 癖者の詩人梁川星巌夫妻の墓と斜向ひに立つて居る。
 敬二が墓地に往つた時は、まだ墓掘りが終へてなかつた。
 天授庵の白砂の庭は會葬者で一ぱいになつた。

大勢の人々が、お稲=みねの柩に付き添っていた様子がわかります。
梁川星巌は、梅田雲浜・頼三樹三郎・吉田松陰・橋本左内らと交流した漢詩人。
(妻の紅蘭は、晩年、京都で私塾を開いていたとか。)

 車で着いたおいよ婆さんを扶けて、敬二は其處に立つて居た。
 忽ち後の方から人波うつて、『能勢さんの母夫人が怪我された』と云ふ聲が
 何處(どこ)からともなく傳(つた)はつた。
 『早往つて見ち下はり』と婆さんの言を聞きもあへず、
 傍(かたへ)の人に老人を賴んで、敬二は山門の方へ飛んで往つた。
 山門の下で、誰やら連れて徒歩で來かゝつた飯島の夫人が目早く見て、
 『敬さん、早く、早く、叔母さんが車から落ちなすつた』
 と叫んだ。

敬二=徳冨蘆花は、おいよ婆さん=横井清子の補助をして墓地に来た。
そこに、「能勢さんの母夫人」=横井津世子が怪我をしたという叫び声が聞こえる。
「叔母さんが車から落ちなすつた」と声をかけたのは、新島八重でした。

 敬二は宙を飛んで門の方へ駆けて往つた。
 松並木の中程に提灯をつけた一群がある。
 車に載せられて居るのは叔母さんであつた。
 かあやんが狂人の様になつて
 己が羽織を引ぬいで叔母さんの脚に打被(うちき)せて居る。
 敬二は提灯の光で、眼も口も左の方へ拘攣(ひきつけ)られて
 死んだ様な叔母さんの顏を見て、吾れ知らず其手を執つて、
 『叔母さん』
 とおろおろ聲で言ふた。
 『はい』
 と伯母さんは蚊の鳴く様な聲をして、
 それでもほンの少しばかり眼を開いて敬二を見た。
 敬二は少し胸が開くやうであつた。
 かあやんは女主人の脚を撫で、敬二は叔母さんの膝掛の上の手を撫でた。
 『ドクトル・ペリー』
 側に聲がしたので、敬二は眼を轉じて
 長島さんとドクトル・ペリーの禿げた前額を夕闇の中に見た。
 『すると矢張脳溢血ですね』
 長島さんの聲はまた響いた。
 『左様、まあ心配な事はない、と思ひますですね』
 とペリーさんは靜かに云ふた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

敬二=徳冨蘆花も、かあやん=寿加も、おろおろと心配しています。
かあやん=寿加(横井小楠の妾だった)にとって、横井津世子は「女主人」でした。
居合わせたドクトル・ペリー=ベリー医師が、脳溢血であると診断したのです。
この叔母の病臥がまた、敬二=徳冨蘆花の恋に関わることになります。

Tag:山本久栄 

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