横井津世子の病臥

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、お稲=みねの柩が墓地に着いたとき、
「能勢さんの母夫人」=横井津世子が倒れ、脳溢血であると診断されました。

 一群は釣臺(つりだい)を待つて居るのであつた。
 最早日はとつぷり暮れて、松並木の暗い参り路は寒い夜風がそよいだ。
 墓地の方では今埋葬が終るのであろ、
 讃美歌を歌ふ聲が高くなり低く消え咽ぶ様に響いて來る。
 蟲の息が通ふて居る車の上の叔母さんから眼を移して、
 敬二はあの世から響いて來る様な歌の聲する眞黑い上方を見つめた。
 釣臺が來た。
 叔母さんは蒲團の上に扶けのせられた。
 ペリーさんは車、かあやんは徒歩、
 敬二は提灯持つて釣臺に引添ふて荒神口に歸つた。
 叔母さんは此日飯島先生の葬儀説敎の間始終ふらふらして居た。
 協志社の門から壽代さんと車に同乗しながら、思ひ出したやうに、
 『ほンに、赤兒(ベビー)を見てくればよかつた』
 と云つて居たさうだ。
 車の上でもふらふらして、南禪寺の門で到頭車から落ちたのであつた。

又雄=横井(能勢)時雄の母、すなわち、横井津世子は、
娘(お美枝=海老名みや子)の初産のために上京し、戻ってきたら、
すぐにお稲=みねの出産、看病と緊張が続き、疲労もたまっていたのでしょう。
礼拝堂にいたときからふらつき、車の中でも異変が見られたらしい。
壽代=山本久栄が同車していたとありますが、その対応は語られません。

 正午までお稲さんの柩の横はつた奥の十疊に、
 南枕に叔母さんの病床はしつらはれた。
 病人を靜にする爲に、手傳者の多くはそれぞれ歸り去つた。
 晩(おそ)い夕飯を掻込んで奥の病室に往つて見ると、
 飯島先生がフロツクコートの片膝をついて、叔母さんの額の氷嚢を押へて居た。
 裾の方から入つて來た壽代さんが手代りをしようとすると、
 先生は手を振つて彼方へ追ひやり、敬二に眴(めくばせ)して氷嚢を譲つた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

結局、お稲=みねの棺と入れ替わりに、横井津世子のベッドがしつらわれた。
飯島先生=新島襄が来ているということは、新島八重もいるのでしょうか。
それにしても、壽代=山本久栄が代わろうとしたのを追いやり、
敬二=徳冨蘆花に代わった、とあるのは、いったいどういう意味なのか。
そういう行為は壽代=山本久栄には向かないと思ったのか、
それとも、横井津世子と彼女の関係の問題なのか、判然としません。
この横井津世子の病気のため、敬二=徳冨蘆花は学校を休むことになります。

Tag:山本久栄 

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