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新島民治の死

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、能勢家=横井(伊勢)家は、
幼い子どもたちを抱え、又雄=時雄の母が病に倒れて大変だったはずです。

 敬二は其晩から暫く學校を休んで、叔母さんの病床について居た。
 又雄さんは飯島先生の注意で、當分先生の宅に起臥すことになつた。
 弔儀客、見舞客、手傳ひの人々、伊豫の敎會から總代で來て
 勝手の大火鉢を圍んで小聲に能勢家の善後策、
 又雄さんの後妻の事など心配し合ふて居た老練な町田さん、
 耶蘇と同じ商賣の大工でやかましやの長谷さんなども、
 それぞれ歸つて往つて、あとは内輪の小人數になつた。
 木屋町時代に復つた様な氣になつて、
 敬二は氷嚢を換へる、湯たんぽを入れる、叔母さんの手足を摩る、
 かあやんが便器を持て來る時叔母さんを抱き起す、時には藥取りにも走つた。
 
脳溢血で倒れた年老いた横井津世子には、軽い中風の症状が残ったのでした。
ベッドから起き上がれない横井津世子の看病に、敬二=徳冨蘆花は奮闘。
飯島先生=新島襄が、又雄=時雄を家に帰らせなかったのは、
今後の能勢家=横井(伊勢)家のために話し合う必要があったから、のようです。
早くも「後妻」の心配までしている、「老練な町田さん」とは、増田雅太郎か。
まだ4歳の長女と生まれたばかりの長男を抱えては、急を要する問題だったのか。

 お稲さんの葬式に、門口に出て、しよぼしよぼした眼をして、
 灰色の長い髯の顎をしやくつて、柩に禮して居た飯島先生の阿爺さんが、
 三日も經たぬに亡くなつて、其偉大な息子の學校の禮拜堂で葬式があつたが、
 敬二は其れにも缺席して叔母さんの病床につき切つた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

新島襄、八重夫妻には、悲しみが相次いだのです。
お稲=みねは、明治20(1887)年1月20日の出産の後、27日に急逝。
わずか3日後、30日に、新島襄の父である民治が80歳で亡くなっています。
この年の8月13日には、新島襄の恩人・ハーディー死去の知らせを受けました。

Tag:山本久栄 

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