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叔母、横井津世子の矜持

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、能勢又雄=横井(伊勢)時雄の母はどういう人か。
敬二=徳冨蘆花は、ちせ子=横井津世子が好きではなかったらしい。
横井小楠の後妻である津世子は、徳冨蘆花の母・久子の妹にあたります。

 敬二は昔から此陰氣な切髪の叔母さんを好いては居なかつた。
 子供の時から體が弱くて、兩親に心配をかけるを苦にして、十三四から
 氣分が惡い時はわざと厚化粧して親の眼をくらました程怜悧な娘は、
 二十三で年齡の二十五六、親子程も違ふ名高い沼南先生の夫人になつて、
 同居して居る寡婦の嫂親子やら、六年も前から居る妾同然の加壽やらの中で、
 先生やら親やら主君やら分らぬ良人に事(つか)へて、
 多少の皮肉は含まれても兎に角其良人から『おちせは君子だ』と云はれる程
 周到に努めぬいた叔母さん、其良人には非命の死をされ、
 又雄さんの耶蘇敎信仰では郷當非難の中心にされて、
 すんでの事に懷劍の切尖(きつさき)に俯伏すまでの苦をした叔母さんが、
 昔から年のいかぬ敬二に陰氣に窮屈に思はれたのは無理もなかつた。
 
沼南先生=横井小楠とは「親子程も違ふ」年齢で、寡婦の兄嫁のみならず、
妾の加壽=壽加までもが同居する家庭で、苦労もあったはず。
一家の主婦として、それでも奮闘し、「君子」だと褒められるほど統べてみせた。
夫が暗殺され、息子は「耶蘇敎」を信仰するようになり、苦労は続いた。
多難に耐えた横井津世子は、一筋縄ではなく、「陰氣に窮屈に思はれた」。

 敬二は此叔母さんの自己を忘れた振舞を唯一度も見た事が無かつた。
 物靜に、控へ目に、謹(つつしみ)深いのが叔母さんの癖であつた。
 伊豫に來て能勢家の厄介になつて以來、
 敬二はますます叔母さんを好かなかつた。
 叔母さんは敬二の輕卒を苦にして、考が足らぬとしばしば敬二を叱つた。
 又雄さん其人は弟の如く敬二を待つに、
 叔母さんは敬二の事で始終吾子の又雄さんに氣がねした。
 叔母さんは吾腹を痛めた又雄さんが、
 沼南先生の御子息と云ふことが、何時までも忘られなかつた。
 又雄さん美枝さんと昔から吾子吾女を呼び捨てにしたことはなかつた。
 つとめて母の位置には立ちながら、自然に卑下して、
 甥の敬二まで吾血筋の者と自分同様
 つとめて卑下さす様に敬二には受取られた。

幕末の志士たちにも影響を与えた横井小楠が、妻の津世子の誇りであり、
その血を引く我が子、又雄=時雄や美枝=みや子も同様でした。
自分の甥とはいえ、下に見ているところがあったという。

 これが敬二に氣障(きざ)であつた。
 聽かぬ氣の母によく肖(に)た敬二の兄が、
 昔から年下で居て又雄さんをやゝもすれば馬鹿にして居たに引易へ、
 律儀な父の血を多分に受けた敬二は、
 又雄さんに對して偽ならぬ尊敬を有つて居た。
 然し叔母さんの小心翼々は、却て敬二を反撥させた。
 彼は叔母さんを煙たがり、從つて能勢家にも自然遠のく様になつて來た。
 父は父、自分は自分と云ふ氣に敬二は知らず知らずなつて居た。
 然し母と血を分けた叔母さんが、全然敬二を牽かぬわけには往かぬ。
 敬二は今叔母さんが自力盡きて
 自然の捕虜になつたのを好い機會ででもある様に、身を入れて介抱した。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

敬二は「律儀な父の血を多分に受けた」が、兄は「聽かぬ氣の母によく肖た」。
敬二=徳冨蘆花は、又雄=時雄を「尊敬」していたけれど、
兄=徳富蘇峰はそうではなく、「やゝもすれば馬鹿にして居た」とか。
これは、横井津世子と徳富久子の姉妹の関係性もあるのかもしれませんが、
敬二=徳冨蘆花は、叔母が病床にあるからこそ、面倒を見る気持ちになった。

余談
大河ドラマ「西郷どん」、エンターテイメント性が例年以上に強い感じ。
幕末はわかりにくいという先入観打破のためか、単純さ、わかりやすさ重視。
幾島、斉藤由貴さんが演じていたら、もっと飄々とコミカルだったのかな。

Tag:山本久栄 

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