「兄妹の感じと態度」

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、姑が病床にあり、若き女主人を失った家は大変。
しかも、飯島先生=新島襄のはからいで、又雄=時雄も家にいません。
となれば、唯一の男手として、敬二=徳冨蘆花は頼りにされていたはずです。

 飯島家に寢起きして、風呂が沸いても、一番に入れらるゝやうな
 懇到な待遇を受けて居る又雄さんは、痩せてますます面長になつた
 丈の高い鰥姿を荒神口の家に見せて、
 病狀の母を看たり、お節ちやんを抱いたりした。
 お節ちやんは、『今いくつ寢ンねをすると阿母さんに逢はれるか』と
 いぢらしい言を云つて、かあやんを泣かせた。
 飯島先生も時々來てはそれとなく氣をつけた。
 來診したドクトル・ペリーの徒歩で歸らうとするのを、
 「Doktor Perry.There is the Jinricksha I got」など呼びかけて、
 乗つて來たわが車にドクトルをのせたりした。

まだ三歳のお節=悦子のあどけなさは、悲しみをいっそう掻き立てます。
それにしても、能勢又雄=横井(伊勢)時雄は、
協志社=同志社の後継者として、飯島先生=新島襄の期待の星だったよう。
お稲=みねが死去しても、とても大事にされていたことがわかります。
大学設立運動はまもなく動き出しますが、そういう意味でも、
家庭のあれこれの煩わしさから隔離したい、と配慮したのでしょうか。

 不幸は血筋縁者の間を括り寄せるかの様に近くした。
 又雄さんはあらためて敬二に、これから眞の兄弟と思ふて、
 書(ほん)でも何でも遠慮なく持つて往け、と云ふた。
 叔母さんの病氣はどうせ持久戰と云ふことになつて、
 敬二も一先づ學校に歸つたが、
 金曜日の夜から土曜日曜は能勢家に寢泊りして介抱して居た。
 お稲さんの死は、目立つて壽代さんと敬二の間を近くした。
 敬二は何時となく今迄にない
 『往つたの? 來たの? それから? さうぢやないか』
 などとぞんざいな言葉を壽代さんにつかふ自分を見出した。
 又雄さんに兄弟の如くと云はれた敬二は、
 早速壽代さんに對して兄妹の感じと態度をとらずには居れなかつた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

又雄=時雄が、敬二=徳冨蘆花に「眞の兄弟」と言ったのには、
自分の留守を任せるための打算も、もしかしたらあったのかもしれない。
家族の不幸に相次いで見舞われ、又雄=時雄も弱気になって、
親戚の敬二=徳冨蘆花のことがふと大事に思われたのかもしれません。
しかし、又雄=時雄の思いがけない副作用として、
敬二=徳冨蘆花に壽代=久栄を「兄妹」と思わせ、近づかせることになりました。

Tag:山本久栄 

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