「『赤い鳥』100年、果たした役割考える」

鈴木三重吉が『赤い鳥』を創刊して、2018年で100年になるのだとか。

 広島)「赤い鳥」100年、果たした役割考える

 広島市出身で、日本の児童文学の父と言われる鈴木三重吉(1882~1936)が
 児童雑誌「赤い鳥」を創刊してから、今年で100年。
 創刊の経緯や雑誌が果たした役割について専門家が語る講演会が
 3月11日、広島市で開かれる。
 同市猿楽町(現在の中区紙屋町)で生まれた鈴木は、
 県立広島第一中(現在の県立広島国泰寺高)を卒業し、
 東京帝国大(現東京大)英文科で夏目漱石の門下生に。
 在学中、「千鳥」「山彦」を発表し、文壇デビューを果たした。
 創刊のきっかけは長女の誕生。
 子どもに読ませたい純粋な児童雑誌が無いことに落胆したことから、
 童話・童謡の創作運動を始め、1918(大正7)年に第1号を出版したという。
 芥川龍之介「蜘蛛(くも)の糸」、
 新美南吉「ごん狐(ぎつね)」などの名作が掲載されたほか、
 北原白秋や山田耕筰、菊池寛らも寄稿。
 一時休刊、復刊を経て鈴木が病死する36年まで刊行された。
 「文学の世界にとどまらず童謡、絵画、
 演劇など児童文化に与えた影響は大きい」。
 ふくやま文学館(福山市)で館長を務める岩崎文人・広島大名誉教授は、
 「赤い鳥」が後に与えた役割をそう評価する。
 「豊かな感性や感受性を育てる余裕が減りつつある中、
 鈴木三重吉や赤い鳥に学ぶことは多い」
 (2018年2月27日「朝日新聞」電子版/広島)

100年の節目、児童文学史の1つの分岐点だったのだろうと思います。

余談
「わろてんか」、花子が『赤毛のアン』の原書や辞書を守り抜いたように、
楓は、漫才の台本を必死に守っていたのか。
乙女組、ここで出すなら、時々でも消息を伝えていたら……、まだ踊ってた?
終戦、りんの薬屋さんも忙しそうだけれど。
そして、昭和21(1946)年の春、すいとんの売り上げを奪われそうになり、
颯爽とスーツ姿で助けに現れたのは、やはり伊能さん。
てんと伊能の出会いのシーンと同じような、バロンな伊能が再び。
つまり、これが新しい風鳥亭の始まりか。
鈴の音を鳴らしても、もう藤吉は出てきてくれなくなったけれど、伊能が帰った。

Tag:村岡花子 

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