『青鞜』の趣意書は楓寮で印刷

さて、森まゆみ『青鞜の冒険』(集英社文庫、2017年)では、
『青鞜』を創刊するまでの作業段階も詳しく書かれていましたが、1点。
その趣意書が日本女子大学校の楓寮の謄写版で印刷されたことを加えたい。
溝部優実子「『青鞜』草創期を支えた日本女子大学校同窓生
ー『家庭週報』にみる〈潜在力〉-」に指摘されていますが、気になることです。
(日本女子大学叢書『『青鞜』と世界の「新しい女」たち』翰林書房、2011年)

 寮といえば、『青鞜』の趣意書を作成するために
 楓寮の謄写版を使用したことは周知の事実で、らいてうは後年、
 次のように追憶している。
  楓寮というのは、つい先ごろまで保持さんが寄宿していた
  女子大構内の寮で、この寮にある謄写版を借りて、
  「青鞜」の趣意書や規約草案を刷ろうというわけでした。
  森田先生との事件で、除名処分を受けている母校のことですから、
  いっしょに行こうという研子さんに
  「私が行ってもいいかしら」というと「かまうものですか。
  みんな平塚さんが見えるというのでたのしみにしている」と、
  楓寮によく行く保持さんがしきりに勧めるので、同行することになりました。
 この述懐は煤煙事件によって桜楓会から除名されたこととは
 無縁の寮の空気を伝えていて興味深い。
 楓寮は一九〇八(明治四一)年二月、
 「在京の会員のために設立」された「自治寮」であった。
 この寮は齊藤令子氏によってその所在地が確認され、
 後述する『家庭週報』の前身である
 『女子大学週報』が刷られた場所でもある。
 在学時だけではなく、卒業後に使用できる潜心寮や桜寮なども
 存在していたことは注目に値することであり、このような自治的な空間が
 同窓生のネットワークに大きな役割を果たしたのではないかと考えられる。
 (溝部優実子「『青鞜』草創期を支えた日本女子大学校同窓生」)

『青鞜』の同人には、日本女子大学校の同窓生が多いのも、
趣意書が構内の楓寮で印刷されたことをはじめ、ネットワークが重要だった。
平塚らいてうは、煤煙事件を非難され、同窓会組織「桜楓会」から除名、
1992年になって、84年ぶりに復権が認められた、とされます。
ただし、「桜楓会」という組織では、除名という処置が不可能だったともされ、
同窓生からのバッシングはあったのでしょうが、正式な除名だったかは不明です。
(齊藤令子「平塚らいてうと桜楓会ー除名問題を中心にー」
日本女子大学平塚らいてう研究会編『らいてうを学ぶなかで』2007年)
しかし、私が重要であると考えるのは、その7年前の明治37(1907)年3月2日、
同窓会の機関紙『家庭週報』の前身である『女子大学週報』の第1号が、
同じく楓寮の謄写版によって印刷された、ということです。

余談
テレビ朝日の昼ドラ「越路吹雪物語」が最終回、ダブルヒロインのリレー。
コーちゃんと八重、コーちゃんと時子。
NHKが朝ドラでやるならば、どちらかといえば、岩谷時子がヒロインだろうか。

Tag:女子教育 

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