敬二=徳冨蘆花と土倉政子

徳冨蘆花「黒い眼と茶色の目」、又雄=時雄の母の病状は落ち着いた様子。

 病氣以來の叔母さんは、以前の叔母さんではなかつた。
 螺施(ねぢ)の何處かゞ弛んだ様で、のんびりゆつたりとして來た。
 敬二は以前の水も漏らさぬ細心(こまか)な叔母さんより、
 此ぼやけた叔母さんが好きだつた。
 勿論叔母さんはまだ時には昔の癖を出した。

ちせ子=横井津世子は、病に倒れる前のようではなく、「のんびりゆつたり」、とし、
敬二=徳冨蘆花は、「此ぼやけた叔母さんが好きだつた」。
ただ、お稲=みねが死去した後、大事なときに頼りなくなってしまったのでしょう。

 勿論叔母さんはまだ時には昔の癖を出した。
 敬二が次平さんと御苑の境町御門内に
 大天幕を張つたチヤリネの曲馬を見に往つたら、
 其様な處へ往くものでないと叔母さんは子供を叱る様に叱つた。
 五六日經つて往くと、
 あの曲馬とかは又雄さんも見に往つて大層面白いと云つて居た、
 此間は叱つて濟まなかつた、と叔母さんは子供の様に詫びた。
 敬二は詫びずに置いて欲しかつた。
 (『徳冨蘆花集 第11巻』日本図書センター、1999年)

敬二=徳冨蘆花はまた、「子供の様に詫び」る叔母を見たくはなかったようです。
ここで気になったのは、「チヤリネの曲馬」のことです。
明治19(1886)年10月には、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が、
吹上御苑にて、洋装でチャリネの曲馬をご覧になり、女官の山川操も臨席。
http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3530.html
あるいは、土倉(内田)政子がチャリネの曲馬を見に行きたいと思い、
新島八重が付き添うつもりであったのに、舎監の先生は許さなかったのだとか。
つまり、敬二=徳冨蘆花も、土倉政子もチャリネの曲馬を見られなかった。
http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3627.html
http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3367.html
多くの女学生も見学に出かけたようですが、反対されるケースもありました。
新島襄が許したのに、厳しい舎監の先生(佐久ではない)は許さなかったのです。
ちせ子=横井津世子が叱ったのも、それと同じでしょうか。

余談
羽生結弦だけでなく、ほかのスケーターも、芸能人や女子アナも、
週刊誌の記事やネットの中傷で、深く傷つけられている。
大事なのは、マスメディアのみならず、普通の人たちが加担していること。
羽生結弦の味方をするつもりで、ほかの選手に攻撃的な人もいる。
芸能人も大変、批判ポイントを眼を皿のようにして探されてる。

Tag:山本久栄 

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